2014年06月10日

「甘え」とどう闘っていますか?

カテゴリ:改心

きのうの早朝のこと、私は取り返しのつかない大失敗をしました。
それは、「忘れ物」です。

 前日の夜に、母から「あしたの早朝参拝の時に、姉にこの花を渡してくれる?」と頼まれて、「わかった」と約束していたのですが、教会に置き忘れたまま参拝してしまい、それに気付いたのは帰りの道中、という始末でした・・・

 母の姉(私にとっては伯母)は、福岡から教団独立記念祭に参拝され、一泊されてきのうの朝に帰られる予定で、渡すとしたらそのタイミングしかなく、しかもそのお花は可愛らしく珍しいもので、「接木(つぎき)」をすれば育てて増やせるらしく、伯母にとって楽しみだったのです。

 にも関わらず、託された私は失念してしまい、その楽しみをお届けすることができませんでした。

 父からは、「また忘れ物?多いなあ・・・」と言われ、がっかりさせてしまい、運転中そのことで頭がいっぱいになり、冷静さを欠き、「取り返しのつかないことをしてしまった」、しかも「また忘れ物をしてしまった」という後悔と無念と、自分に対する憤りで、やり場の無い思いで、苦しくなりました。

 「ああ、どうしよう・・・」。いくら考えても善後策は見つからず、「すぐ引き返して、お届けに行こうか?」と父に相談するも、「今は、お結界の御用がある。それに、道中事故があった場合のリスクの方が大きい。どうしても必要なのか、お母さんに相談しなさい」と諭され、母に「忘れてしまった。ごめん。これからお届けに行こうと思うけど・・・」と相談しました。

 すると、母は「ああ、いいよ。元々、“できたら”と伝えていたから。」と許してくれ、「こっちで育てて、次に渡すこともできるから」と、私も思っていた善後策の一つを考えているようでした。

 このことは、これで一区切りついたのですが、この間、私は「ご祈念帳」という神さまにお礼やお詫び、お願い事を書き留める、和紙でできた帳面に書き記し、しばらく神さまに心を向けて、何度も何度もお詫びをしました。

 最初のうちは、自分を責めて、嫌になり、逃げ出したくなる気持ちでいっぱいでしたが、ふとした瞬間に「いや、このままでは何も変わらない。変えないといけない」と思いを切り替え、今出来ることは、忘れ物をしないように改まることだ、という結論に至りました。

 そして、その原因には「甘え」があることに気付きました。家族以外の方との約束は、比較的忘れることはそれほど多く無いと思っているのですが、父や母から頼まれたことは、よく忘れることが多いのです。

 そこには、少なからず「甘え」が潜んでいて、父や母からの頼まれごとに対して真剣に耳を傾け、それを自分のこととして受け止め、しっかりご祈念して取り組めていない自分がいます。

 たとえ忘れ物をしても、また、何か失敗をしても、父や母なら許してくれる、といった良い意味では安心感があり、悪い意味では甘さが心のどこかにあるのです。

 甘えられる場所がある、というのは大変ありがたい事ですが、それに甘んじてしまうと、周りに迷惑をかけたり、期待を裏切ってしまったり、大切な機会を逸してしまうことになります。

 「甘え」に打ち克って、そうならないようでありたいのですが、あまりガチガチになりすぎても息苦しいですし、自然体にできたら、いいですよね。

 その際、神さまに心を向ける、そして改まりを願うことが起点だと思っています。

 みなさんは、ご自分に潜む「甘え」をどう克服していますか?
花
 写真は、その「忘れ物」です。鮮やかな色で可愛らしいお花ですね。
この度の誓いを忘れないよう、その時間に撮影しました。(朝4時半ごろ)

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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