2014年08月20日

使いっぱなしの体でした(音声ブログ)

カテゴリ:病気・健康・美容音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。 

http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/

今回は、教会長による「使いっぱなしの体でした」というお話です。

(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年08月19日

トイレの水が呼び起こす記憶

カテゴリ:取次者の目線東北復幸支援神さまについて

支援活動1日目、新幹線で隣に座ったおばあさんから、さまざまなお話を伺いました。

 8月9日昼、東京駅でいとこの松本清治さん(俳優)と合流し、5人で東北新幹線に乗りました。車中、私の左隣が清治さんの席で、右隣には83歳のおばあさんが乗ってこられました。

 にこやかな表情、上品な言葉遣いの方で、清治さんがおばあさんの荷物を頭上の棚に載せて差し上げたりしているうちに会話が弾み、3人とも直ぐに打ち解けました。

 お昼時でしたので、お互いにお弁当を広げて、話を進めました。

 伺いますと、女川のご出身で、この度の東日本大震災の被災者でした。ご主人を11年前に亡くされ、震災当日は車を運転しながら、命からがらで助かったことなど、 いろんなお話を聞かせてくださいました。

 ・目の前に大津波がどす黒い色でぐるぐると回転しながら、すべての物を流した。
 ・家が浮力で持ち上がり、瞬く間に崩れながら津波に飲まれた。
 ・車や人やいろんな物がぐるぐると流された。
 ・自分の車の前後が大津波で、奇跡的に助かった。
 ・神も仏もない、とおっしゃる方もあるが、私は神仏が存在すると思う。
 
 ・しばらく避難所での生活、何も無くて不自由した。
 ・幸い、息子が東京に住んでいて、迷ったが移り住むことにした。
 ・東京では独り暮らし。もし災害が起きたら忘れられるのが恐いし、寂しい。
 ・女川のお墓は石巻に遷した。きょうはお盆で、そこにお参りする。
 
 ・某美術館に過去の津波の絵画があるが、水がきれいで、あれは現実と違う。

・・・といった具合に、震災発生時のことから、現在に至るまでの状況や心境をお話くださいました。

 私は途中から、「生神金光大神様」と心の中で唱えながら聴かせていただくようにし、新幹線の椅子に座りながらも普段の御取次の心構えにならせていただきました。

 じっくりと聴かせていただき、おばあさんの心の中の思いを感じさせていただくように意識を集中して、ご祈念をさせていただきました。

 そして、このようにもおっしゃいました。

 「水洗トイレの流れる水の様子を見ると、津波を思い出してしまい、恐いのよ。
だから見られなくなった。今でも夢に出てくるし・・・」

 ずっと被災地に常駐されてきた清水さんが、教えて下さったことと重なります。
「被災者の方々は、時間が経っても心に受けた辛さ悲しみは癒されることはありません。共に辛さ悲しみを共有して、生き抜くしかありません」と。

 さらに、おばあさんはこのようなこともおっしゃいました。

「震災直後、演歌歌手の○○さんが△△△△という持ち歌を歌っていたけど、私は聞いていてムカっときちゃった」と。

 このお話は、これから仮設住宅で一緒に歌を歌わせていただこうとする私たちにとって、大切な教訓とも言うべきことを教えていただいたように感じました。

(幸い、私たちのレパートリーには無い歌でしたが、こちらが良かれと思ってご用意している歌であっても、その方によっては不快な思い、辛い思いにさせてしまうことがある、と改めて思いました)
 

 これは後日談ですが、11日の時に歌詞ノートをお配りした際、「ふるさと」の所を開かれて、「この歌、私はしばらくまともに歌えなかった。涙が出てきちゃって。3年経って、今は歌えるけどね」とおっしゃる方があり、まさにそのことが現実となり、ドキっとしたのと、今は一緒に歌えると伺って少し安堵しました。

 それからも、いろいろなお話・・・戦時中に疎開して畑仕事をさせられたこと、シソジュースの作り方、女川の魚が美味しいこと、東京のお水は舌に膜が張るような感じがして飲めずミネラルウォーターにも慣れないこと、ご主人との生活は辛抱ばかりだったが有難いと思えること、若かりし頃江ノ島で映画のロケと遭遇し有名俳優さんとベンチで会話したこと、震災時に中国からの研修生をいち早く助けた経営者が二度前の波に流されたこと・・・など仙台までの約2時間近くの間、震災時のことだけでなく、楽しい思い出や懐かしいこと、ご苦労なさっていることなどをお伺いし、3人で時に笑いあったり、沈黙して考え事をしたりして過ごすことができました。

 先ほど申しましたように、心の中で「生神金光大神様」と唱えながら、「このおばあさんの心が安らぎますように」と願っておりましたが、今振り返ってみますと、おばあさんのおかげで、被災者の気持ちをお伺いすることができ、また演奏奉仕をさせていただく上での大事なこと、取り違えてはいけないこと、その心構えを教えていただいたとも思います。

 その時は不思議な思いもしつつ、また「神さまはこのおばあさんを通じて、私たちに何か大切なことを教えようとなさったのでは?」という思いを頂きながら、仙台でお別れをして、私たちはそのまま盛岡へと移動を続けました。

 盛岡教会4
 写真は、その後参拝させていただいた盛岡教会のご神前です。
台風の中、無事に到着できた御礼と、演奏奉仕の成就を祈願させていただきました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 
 
 

 

 



 


2014年08月19日

使わせて頂いている体(音声ブログ)

カテゴリ:改心病気・健康・美容音声ブログ

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今回は、教会長による「使わせて頂いている体」というお話です。
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年08月18日

近頃(音声ブログ)

カテゴリ:音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。 

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今回は、教会長による「近頃」というお話です。
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年08月17日

東北復幸支援4日目 8月12日(最終日)

カテゴリ:東北復幸支援

熟睡させていただき、最終日の朝を迎えました。

 気仙沼教会の朝6時のご祈念に参拝させていただき、一同、この度の4日間の奉仕活動が成就したことを御礼申し上げ、亡くなられた御霊様に思いを寄せて、ご安心と立ち行き、そして復旧復興を祈願させていただきました。

 教会で気仙沼のお恵みたっぷりの朝食(新鮮でふっくらとしたサンマの塩焼き)を頂いて、出発までの間、身支度や掃除、それぞれに自由時間を頂きました。

 若い女性3人は、安波山(あんばさん)に登り、気仙沼の港を一望できたようです。(相当ハードだったようですが・・・)
 気仙沼一望3
 気仙沼も復興の計画が固まったそうです。市街地も少しずつ整備され、土地のかさ上げが進んでいる様子が伺えます。

 しばらくの間、津波の爪あとが残り、浸水した建物の低層階が無残な姿をさらしていましたが、年を経る毎にそういう光景も減ってきたように感じます。
 気仙沼市街2
 市街地を見学したメンバーもいました。

 私と俳優の松本清治さんは、楽器などを宅配便業者の事務所を訪ねて発送し、港を散策しながら、渡辺謙さんがオーナーのお店でコーヒーを一杯頂きました。
(開店前の時間でしたが、ご好意でテイクアウトなら、と頂くことができました。)
 
Kポート_
謙さん直筆_
 

 その後、全員揃って、気仙沼の港から、海に向かって合唱させていただきました。
「ふるさとは今も変わらず」という震災後に新沼謙治さんが作られた曲です。

 4日間の御礼と、亡くなられた御霊様のことを想像しながら、祈りを込めて歌わせていただきました。
 みなと2

 そして、ご祈念をさせていただき、港にお別れを申し上げて、帰路に発ちました。

 ところが、途中で渋滞があり、新幹線の出発時間ぎりぎりに駅に着く見込みとなったため、私を含む4人だけがレンタカーの給油と返却の手続きに回ることになり、他の6人は予定通りの便に向かってもらうことにいたしました。

 
 時間との勝負で、安全運転をしながら、精一杯対応しましたが、残念なことに、レンタカーを返すところで、書類が見つからないトラブルがあり、私たち4人はあと数分のところで乗り損なうことになりました。

 「少し予定を詰めすぎたかなあ」と自分自身は反省しつつも、気持ちを切り替え、私たち4人は喫茶店で休憩させていただくことにしました。

 そのうちの優大君(中学1年生)は、「レンタカーのおじさんが手間取っていたせいで、こうなったけど、乗り遅れたおかげで、ここのカレーが食べられた」と、ふつうなら嘆いただけで終わってしまうところを、自分なりの喜びを見つけて、良いほうにとらえてくれていました。

 私としては、それがとても嬉しかったです。

 日常では、こうした些細なトラブルや、イライラしたり、腹の立つ出来事が起こるわけですが、そうした瞬間をすぐに「ありがたい」方向に切り替えていけたら、いいですよね。

 子供のうちから、そうした心、気持ちの転換の稽古ができていたら、この上ないと思います。

 幸い一関から東京駅まで、東京から新倉敷駅までの間、自由席が空いていて、みんな座ることができました。

 これは余談ですが、東京から新大阪までの間の車掌さんの一人が「岩本さん」だというアナウンスが聞こえてきて、思わず笑ってしまいました。

 そして、車内の改札が始まると、なんとその車掌さんが「岩本さん」でした。
私は嬉しくなって、「あなたも岩本さん?私も岩本さんです。」と言って握手を交わしました(笑)

 「岩本さん」とも、乗り遅れなければお会いできなかったな、と喜ばせていただき、計画不足、自分自身の至らなさ、予定を欲張りし過ぎて反省しているところを、神さまが後付して、喜ばしいこと、微笑ましいことを足してくださったなと、御礼を申した次第です。

 以上、おかげさまで、ことしの東北復幸支援活動を無事に、盛況に終えさせていただき、神さま御霊さまに御礼を申し上げることができました。

 ありがとうございました。

 なお、この度の支援活動の詳細や、今後の支援活動についてご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、こちらまでお問い合わせください。
 info@nayamisoudan-krashiki.com
   086-451-6167
 
 

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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