ここにたどり着くまでには、幾多の困難や災いがあったことでしょう。
この先どうしよう…、
もうやっていく自信がない…、
生きているのが辛い…、
何で私だけこんな目に?…etc
でも、安心してください。あなたの心が神さまとつながれば、どのようにでも道は開かれます。「こころの宮」は、あなたが抱えている不安や悩み、切なる願いをしっかりと聞き、神さまにお届けすることで、そのお手伝いをさせていただきます。
このサイトは、江戸時代の末に、現在の岡山県浅口市金光町で生まれた金光教(こんこうきょう)に属する、宗教法人金光教乙島(おとしま)教会が運営しています。
おかげさまで、平成26年4月18日をもって開設70年(岡山県知事から認可を得て)を迎え、この度、だれでも手軽に参拝できて、いつでも悩み事を相談でき、神さまに願い事ができるWEBサイト「こころの宮」をオープンしました。
そして、相談したいけど忙しくて時間が取れない…という方や、お願い事をしたいけど足を運ぶまでには…という方々の為に、“WEBで参拝”を始めました。どうぞ試しにご利用ください。
気持ちの浮き沈みや身体の病気のこと、恋愛や家族のこと、出産・子育て、学業や就職、借金や経済、経営の問題、老後の生活のことなど、私たちは生活をして生きていく中で、多くの不安や悩みを抱えています。
「こころの宮」では、そうしたさまざまな悩みを、専任の神職である「取次者(とりつぎしゃ)」が時間をかけてじっくりとお話をお聞きします。決して一人で抱えこまずにお聞かせください。まずは“WEBで参拝”をクリックし、匿名でも結構ですので、悩みごとをお届けください。相談料は無料です。もちろん、電話での相談も受け付けておりますし、ご予約頂ければ、スカイプでのビデオ通話も可能です。
TEL 086-451-6167(「こころの宮です」と電話に出ます 時間:9:00-20:00)
朝早起きができるようになりたい、自分に合ったパートナーにめぐり会いたい、なんとしても試験に合格したい・・・など、事柄の大小を問わず、神さまは何なりとも願いをお聞きくださいます。「こころの宮」では、毎日休まず神職の「取次者(とりつぎしゃ)」が皆さまの願い事を受け付け、代わりに神さまへの祈願を行っています。足を運んで一緒に神前で祈願なさっても結構ですし、“WEBで参拝”のフォームに願い事を自由に書いてお届けください。なお、この祈願には費用は発生しません。(普段、足を運んで参拝されている方々も、それぞれの願いが成就した際に、神さまへのお礼としての真心の範囲で、お供え物や奉献をなさっています。)
今の社会は便利で快適に思える反面、競争が激しく不安定で、「こうすれば大丈夫」という万能薬は、ありそうで見つけにくいのが現実です。そうした中、心の拠り所や精神的な安定を得ることは、生きていく上で大事な要素でしょう。
そこで、私たちは「心磨き」をお勧めしています。「こころの宮」では、日常に起こるさまざまな出来事や沸き起こる感情を、神さまの目線でとらえ直す稽古を行っており、その志願者や修行生を毎日受け付けています。このサイトのブログを通じて、取次者(とりつぎしゃ)の話(YouTubeでも配信)や、参拝者の体験談などを掲示してまいります。ぜひ一度ご視聴いただき、あなたの心と照らし合わせてみてください。
「こころの宮」の神さまは、神の思いに沿わない人間を切り捨てるようなことはされません。むしろ、人間が天地の間に生かされて生きていることを忘れて、悩み苦しむ姿を憂いている神さまです。間違ったことや過ち、人の心を傷つけてしまったことなど、神さまに心を込めてお詫びをして、改まっていくことで、心新たに未来に進むことができます。どんな思いも願いも聞かせてください。取次者(とりつぎしゃ)が一緒になって、改まりと次への新たな一歩をお手伝いさせていただきます。
私たちは、毎日自分の「こころ」と向き合って生活をしています。「こころ」は、1日の中でコロコロと変化します。常に穏やかで、楽しく、充足した日々を過ごせればいいのですが、腹を立てたり、情けなくなったり、そして自分や人を責め、人間関係に苦しむことが少なくありません。
「こころ」の持ちかた次第で、事態は好転するはずですが、苦しい時には、不安や不足の思いが先に立ち、頑張ろうとすればするほど空回りすることが多くなります。たとえどんな苦難や逆境に出遭っても、また、自分のことが嫌になり消してしまいたくなっても、「こころ」のあり方をコントロールできれば、思いとどまり、その先の道が開かれて行くはず…
私どもこころの宮の神職「取次者(とりつぎしゃ)」は、困難や不安と闘い続けている方々の、「こころ」の思いをじっくりとお聴きし、神さまに「御取次(おとりつぎ)」をしています。その「御取次(おとりつぎ)」によって、人間は誰であっても神の「こころ」を授かっていることに気付くことができ、また、神さまがひたすらに私たち人間の助かりを願ってくださっていることに気付くことができます。
そうして、人は神の「こころ」を活かして、万事がおかげになる日々を送ることができるのです。
この度、より広く、より多くの人にも、この「御取次(おとりつぎ)」の働きを知っていただき、忙しくて時間が取れない方や、誰にも相談できない辛いことを抱えている方々が、WEBを通じて悩み事を相談でき、願い事ができる環境を整えたい、そして、誰もが神の「こころ」を活かして、万事おかげになる道を歩むお手伝いをさせていただきたい、そういう願いでこのWEBサイト「こころの宮」を開設するに至りました。
「御取次(おとりつぎ)」をしている私自身は、まだ経験も浅く、さらなる「こころ」磨きが必要です。ただ、江戸時代の末から154年以上続く、「御取次(おとりつぎ)」の働きは確かであり、神さまと私たち人間の「こころ」がつながって、神の「こころ」を発揮すれば、どのようにでも道が開かれることだけは確かです。私もそうして助けていただいた人間の一人ですし、そのご恩返しの為に、残りの人生を捧げてまいりたいと「取次者(とりつぎしゃ)」のご用に立たせていただいております。
詳しくは、折に触れてブログで紹介したいと思いますが、真っ暗な闇に光をさしてくれたのは、「こころ」を神さまに向けて、神さまと「こころ」がつながる、「御取次(おとりつぎ)」の働きでしたので、自己紹介を下記に書き留めたいと思います。
私は金光教の教会に長男として生まれました。
後継者としての期待を込められ、大切に育てられ、
周囲から見れば、後を継ぐ道があり、豊かな暮ら
しをしているように見えていたかもしません。
しかし実際は金銭的に裕福ではなく、欲しいものを
なかなか買ってもらえない生活でありました。それでも、初代教会長の祖父・祖母・両
親からたくさんの愛情をいただきました。
教会の息子だからと言って、小さい頃から穏や
かな性格とはいかず、小学生まではヤンチャ坊主
で、よく近所の友達と悪ふざけをしたり、友人を
いじめたりしていました。
中学生になった時、私自身がいじめに遭いました。無視されたり、陰で悪口を言われ
たり、隠し物をされたり、靴に虫を入れられたり・・・毎日をビクビク過ごしているう
ちに、人が怖くなり、周りの人のヒソヒソ話や笑い声が、すべて自分に向けられている
ように思えて苦しくなり、できるだけ目立たないように、逃げるようになりました。こ
のことは、家族にも相談できず、家族の前では元気に振る舞い、辛い気持ちは自分の心
の中に押し込んで、夜寝る前にいろんな妄想をする日々が続きました。
そんな時、祖父が「悪いことをしたり、いじめたりする人がいたら、そのような心に
なる人のことが気の毒であり、そういう心になるのは、かわいそうなことだから、相手
の心が助かるように祈ってあげましょう」と教えてくれました。祖父は私の心の変化に
気付いていたのかもしれません。その言葉に救われ、それから毎晩、いじめる人たちの
心が助かるように、その人が元気に過ごせるように、神さまに祈り続けました。
そのおかげか、数人の友人もでき中学三
年間をなんとか過ごし、高校・大学へも進
学しました。大学卒業後、祖父としては教
会の後継者になることを願ってくれていま
したが、私自身は、世の中を知らずに後を
継いで人の役に立つことが果たしてできる
のだろうか?という自問自答を繰り返していました。後を継ぐことは自分に課せられた
尊いものだと思いながらも・・・・
結局、いずれは教会に戻ることを祖父と約束し、社会貢献を理念とする会社に入社し
ました。人の役に立ちたいという思いで、がむしゃらに働き続け、入社から8年目によ
うやく管理職に昇格。部下を受け持ち、意気揚々と高い目標を掲げ、さらに仕事に打ち
込みました。
ところが、結果は思うようについてきません。部下がこちらの意図するとおりに仕事
をこなせないのです。
「なんでそんなことになるの?」「なんでこんなこともできないの?」という疑問の連
続で、部下に対して憤りを感じ、叱りつけることもありました。
そのうちに何かを私が投げかけ、進めようとしても、誰もついてこない、空回りする
ばかりで、挙句に顧客からのクレームも増えて上司にも迷惑をかけ、という悪循環に陥
りました。食事も不規則になり、不眠も続き、常に部下や上司、顧客、周りにびくびく
しながら1日1日を過ごしていました。
思い描いていた社会貢献が、現実にはほど遠い状況になっていました。
そんな時、ふと、父から渡された掛け軸があるのを
思い出しました。それは、「天地書附(てんちかきつけ)」
といって、金光教祖が江戸末期や明治初期に書き残して、
参拝される人々に配布し、家の中で目当てとして拝むよう
に勧めたものです。「生神金光大神(いきがみこんこうだ
いじん) 天地金乃神(てんちかねのかみ) 一心(いっしん)
に願え(ねがえ) おかげは和賀心(わがこころ)にあり
今月今日(こんげつこんにち)でたのめい」
と書かれています。
ほこりをかぶっていた、この書附(かきつけ)に出合い、気付いたら毎朝・毎晩手を合
わせて参拝していました。
「おかげは我(わ)が心にある」「和賀心(わがこころ)、やわらぎよろこぶ心になりま
すように」。心の中で、部下や上司、顧客、同じオフィスで働く同僚など、その日その
日に出会った人々にお礼をし、自分の発言などについてうまく行かなかったことや失敗
したこと、後悔したことなど、「ごめんなさい。申し訳なかったです。」とお詫びをし
、相手の対応など腹が立ったり、納得がいかないことなども思い起こしながら、最終的
には「ありがとうございます」とお礼を申すことを何度も何度も繰り返しました。
夜は照明を消して真っ暗な中、瞑想している間に、あっという間に2時間、3時間と
過ぎていることが毎日続きました。
そして、少しずつ自分の心の中の、物事の受け止め方や、相手や周りの方への見方や
考え方を見直していくことを繰り返していきました。
たとえば、部下が出来なかったことに対して、それまでは「何でこんなこともできな
いの?」と腹を立て、責める心でしたが、それをできるだけやめて、出来たことを見つ
けて「よく出来たね。」とほめることを増やし、その上で課題を共有して、一緒に改善
するよう努力しました。「天地書附(てんちかきつけ)」と出会って、一年半、少しずつ
部署内の雰囲気も変わり、お互いが協力しあえる関係が出来上がりました。社会の役に
立つ仕事を希望して10年の月日が流れていました。
その後、今までの実績が評価されたのか、社長直属の部署へ異動し、社会に貢献する
事業を企画し推進する担当として、邁進していました。そんな折、父より「帰ってくる
ように」と連絡が入りました。悩んだ末、事業が軌道に乗るまで2年間の猶予をもらい、
その後岡山の地に戻りました。祖父の願いである後継としての約束を果たすべく、平成
22年5月より金光教学院での1年間の修行を経て、ここまで3年間、取次者(とりつぎしゃ)
としてのご用に使っていただいております。
振り返ってみると、中学生時代、会社員時代に「こころ」を神さまに向けていなかっ
たら、「御取次(おとりつぎ)」の働きに触れていなかったら・・・今の自分は存在し
ていたのだろうか?と考えます。ここまで来るのに回り道をしたのかもしれませんが、
「御取次(おとりつぎ)」の働きは皆さまのお役に立てると自負しています。
一人でも多くの方が、悩んでいること苦しんでいることを、この「こころの宮」に届
けてくださり、「御取次(おとりつぎ)」の働きを通して、神さまと「こころ」がつなが
り、神の「こころ」を活かして道が開かれますように、私自身も「こころ」を磨き続け
たいと思います。