2014年08月17日
東北復幸支援4日目 8月12日(最終日)
カテゴリ:東北復幸支援
熟睡させていただき、最終日の朝を迎えました。
気仙沼教会の朝6時のご祈念に参拝させていただき、一同、この度の4日間の奉仕活動が成就したことを御礼申し上げ、亡くなられた御霊様に思いを寄せて、ご安心と立ち行き、そして復旧復興を祈願させていただきました。
教会で気仙沼のお恵みたっぷりの朝食(新鮮でふっくらとしたサンマの塩焼き)を頂いて、出発までの間、身支度や掃除、それぞれに自由時間を頂きました。
若い女性3人は、安波山(あんばさん)に登り、気仙沼の港を一望できたようです。(相当ハードだったようですが・・・)
気仙沼も復興の計画が固まったそうです。市街地も少しずつ整備され、土地のかさ上げが進んでいる様子が伺えます。
しばらくの間、津波の爪あとが残り、浸水した建物の低層階が無残な姿をさらしていましたが、年を経る毎にそういう光景も減ってきたように感じます。
市街地を見学したメンバーもいました。
私と俳優の松本清治さんは、楽器などを宅配便業者の事務所を訪ねて発送し、港を散策しながら、渡辺謙さんがオーナーのお店でコーヒーを一杯頂きました。
(開店前の時間でしたが、ご好意でテイクアウトなら、と頂くことができました。)
その後、全員揃って、気仙沼の港から、海に向かって合唱させていただきました。
「ふるさとは今も変わらず」という震災後に新沼謙治さんが作られた曲です。
4日間の御礼と、亡くなられた御霊様のことを想像しながら、祈りを込めて歌わせていただきました。
そして、ご祈念をさせていただき、港にお別れを申し上げて、帰路に発ちました。
ところが、途中で渋滞があり、新幹線の出発時間ぎりぎりに駅に着く見込みとなったため、私を含む4人だけがレンタカーの給油と返却の手続きに回ることになり、他の6人は予定通りの便に向かってもらうことにいたしました。
時間との勝負で、安全運転をしながら、精一杯対応しましたが、残念なことに、レンタカーを返すところで、書類が見つからないトラブルがあり、私たち4人はあと数分のところで乗り損なうことになりました。
「少し予定を詰めすぎたかなあ」と自分自身は反省しつつも、気持ちを切り替え、私たち4人は喫茶店で休憩させていただくことにしました。
そのうちの優大君(中学1年生)は、「レンタカーのおじさんが手間取っていたせいで、こうなったけど、乗り遅れたおかげで、ここのカレーが食べられた」と、ふつうなら嘆いただけで終わってしまうところを、自分なりの喜びを見つけて、良いほうにとらえてくれていました。
私としては、それがとても嬉しかったです。
日常では、こうした些細なトラブルや、イライラしたり、腹の立つ出来事が起こるわけですが、そうした瞬間をすぐに「ありがたい」方向に切り替えていけたら、いいですよね。
子供のうちから、そうした心、気持ちの転換の稽古ができていたら、この上ないと思います。
幸い一関から東京駅まで、東京から新倉敷駅までの間、自由席が空いていて、みんな座ることができました。
これは余談ですが、東京から新大阪までの間の車掌さんの一人が「岩本さん」だというアナウンスが聞こえてきて、思わず笑ってしまいました。
そして、車内の改札が始まると、なんとその車掌さんが「岩本さん」でした。
私は嬉しくなって、「あなたも岩本さん?私も岩本さんです。」と言って握手を交わしました(笑)
「岩本さん」とも、乗り遅れなければお会いできなかったな、と喜ばせていただき、計画不足、自分自身の至らなさ、予定を欲張りし過ぎて反省しているところを、神さまが後付して、喜ばしいこと、微笑ましいことを足してくださったなと、御礼を申した次第です。
以上、おかげさまで、ことしの東北復幸支援活動を無事に、盛況に終えさせていただき、神さま御霊さまに御礼を申し上げることができました。
ありがとうございました。
なお、この度の支援活動の詳細や、今後の支援活動についてご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、こちらまでお問い合わせください。
info@nayamisoudan-krashiki.com
086-451-6167
きょうもお越しいただきありがとうございました。
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