Monthly Archives: 6月 2014
2014年06月11日
履物をそろえると・・・
カテゴリ:子育て・教育・学業心磨き
履物をそろえることで、心が整って、その心は次の行動を整えてくれるようです。
一昨日、車のお掃除をしていましたら、近所の子どもが駆け寄ってきて、「ねえ、先生、お祈りしてもいい?」「した方がいいかなあ?」と無邪気に尋ねてきました。
「うん、お祈りしていいよ。したらええがあ」と答えると、そそくさと玄関に入って、教会に上がりました。
ちょうど父がお結界に座っていて、玄関まで出てきて、”あること”を確かめました。
それは、“靴がそろえられているかどうか”です。
いつも子どもたちは、バタバタと教会に駆け込んできて、気ままに楽器で遊んだり、マイクで面白おかしいことを話したり、友だちの持ち物を隠したり、まあ、こちらの言うことは全然聞かず、好き勝手にはしゃぎます。
そんな時、父が必ず注意することがあります。
「先ず履物をそろえなさい!」
このことには徹底してこだわって厳しく注意します。履物をそろえないと、遊ばせてあげないのです。
この時も、履物がそろっていなかったので、その男の子は「あ、忘れてた」と、素直に靴をそろえなおし、教会にもう一度上がって、お祈りを始めました。
そして、子どもたちとのお決まりがもう一つあります。それは、次のようなお祈りを一緒にすることです。
病気をしませんように。
交通事故にあいませんように。
先生やお父さんお母さんの言うことがよく聞けますように。
お勉強がよくできますように。
みんな仲良く遊べますように。
いじめたりいじめられたりしませんように。
お役に立つ人にならせていただけますように。
金光さま、お願いします。
続いて、ご霊前ではご先祖様にお礼を申し上げ、
「万事おかげになる(初代の遺言)」と4回唱和します。
その後、子どもたちのお目当てである「お水(サーバーを設置しています)」を飲むか、「飴ちゃん」を頂くか、父か私と「拳法(少林寺拳法)」の練習をします。
こういうことを繰り返していくうちに、最初はお目当ての為に、仕方なく靴をそろえたり、お祈りをしていた子どもが、「お祈りをしてもいい?」と言うようになってきました。
何かしら悩んでいたり、感じていることがあって、お祈りをすることで、心の中を整理したり、落ち着かせたりして、また友だちと遊びに出かけているのでしょうか。
ふと思い出したのですが、会社員のとき、あるお客さまから、「商談相手の靴を見ると、その方が信頼できるかどうか、わかりますよ」と教えていただきました。
靴がきれいに磨かれている方は、仕事もきちんとこなすことができ、取引先として信用できる、という一種のパラメーターになるのだそうです。
たしかに、私自身、仕事に追われて自分を見失っていた時は、靴のことには気が回らず、仕事も人間関係も、すべてが悪循環に陥っていました。
履物をそろえることは、一見どうでもよいこと、後回しにしてもよいことのように思えますが、そこを大切にすることで、心が整い、ゆとりができ、次の行動を整えてくれる。
それは「お礼を申す」という大事なことを見失わない生活になり、物事の順番が狂わず、人間関係をも円滑にする元になるのでしょう。
みなさんは、どのように心を整えていますか?
写真は、その時の子どもさんがお祈りをしている様子です。けなげで、素直で可愛くてしかたないです。父にならって、履物をそろえる指導を徹底したいと思います。
きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2014年06月11日
神様を顕す(音声ブログ)
カテゴリ:音声ブログ
昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。
http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/
今回は、教会長による「神様を顕す」というお話です。
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます)
2014年06月10日
「甘え」とどう闘っていますか?
カテゴリ:改心
きのうの早朝のこと、私は取り返しのつかない大失敗をしました。
それは、「忘れ物」です。
前日の夜に、母から「あしたの早朝参拝の時に、姉にこの花を渡してくれる?」と頼まれて、「わかった」と約束していたのですが、教会に置き忘れたまま参拝してしまい、それに気付いたのは帰りの道中、という始末でした・・・
母の姉(私にとっては伯母)は、福岡から教団独立記念祭に参拝され、一泊されてきのうの朝に帰られる予定で、渡すとしたらそのタイミングしかなく、しかもそのお花は可愛らしく珍しいもので、「接木(つぎき)」をすれば育てて増やせるらしく、伯母にとって楽しみだったのです。
にも関わらず、託された私は失念してしまい、その楽しみをお届けすることができませんでした。
父からは、「また忘れ物?多いなあ・・・」と言われ、がっかりさせてしまい、運転中そのことで頭がいっぱいになり、冷静さを欠き、「取り返しのつかないことをしてしまった」、しかも「また忘れ物をしてしまった」という後悔と無念と、自分に対する憤りで、やり場の無い思いで、苦しくなりました。
「ああ、どうしよう・・・」。いくら考えても善後策は見つからず、「すぐ引き返して、お届けに行こうか?」と父に相談するも、「今は、お結界の御用がある。それに、道中事故があった場合のリスクの方が大きい。どうしても必要なのか、お母さんに相談しなさい」と諭され、母に「忘れてしまった。ごめん。これからお届けに行こうと思うけど・・・」と相談しました。
すると、母は「ああ、いいよ。元々、“できたら”と伝えていたから。」と許してくれ、「こっちで育てて、次に渡すこともできるから」と、私も思っていた善後策の一つを考えているようでした。
このことは、これで一区切りついたのですが、この間、私は「ご祈念帳」という神さまにお礼やお詫び、お願い事を書き留める、和紙でできた帳面に書き記し、しばらく神さまに心を向けて、何度も何度もお詫びをしました。
最初のうちは、自分を責めて、嫌になり、逃げ出したくなる気持ちでいっぱいでしたが、ふとした瞬間に「いや、このままでは何も変わらない。変えないといけない」と思いを切り替え、今出来ることは、忘れ物をしないように改まることだ、という結論に至りました。
そして、その原因には「甘え」があることに気付きました。家族以外の方との約束は、比較的忘れることはそれほど多く無いと思っているのですが、父や母から頼まれたことは、よく忘れることが多いのです。
そこには、少なからず「甘え」が潜んでいて、父や母からの頼まれごとに対して真剣に耳を傾け、それを自分のこととして受け止め、しっかりご祈念して取り組めていない自分がいます。
たとえ忘れ物をしても、また、何か失敗をしても、父や母なら許してくれる、といった良い意味では安心感があり、悪い意味では甘さが心のどこかにあるのです。
甘えられる場所がある、というのは大変ありがたい事ですが、それに甘んじてしまうと、周りに迷惑をかけたり、期待を裏切ってしまったり、大切な機会を逸してしまうことになります。
「甘え」に打ち克って、そうならないようでありたいのですが、あまりガチガチになりすぎても息苦しいですし、自然体にできたら、いいですよね。
その際、神さまに心を向ける、そして改まりを願うことが起点だと思っています。
みなさんは、ご自分に潜む「甘え」をどう克服していますか?
写真は、その「忘れ物」です。鮮やかな色で可愛らしいお花ですね。
この度の誓いを忘れないよう、その時間に撮影しました。(朝4時半ごろ)
きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2014年06月10日
同期会(音声ブログ)
カテゴリ:音声ブログ
昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。
http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/
今回は、教会長による「同期会」というお話です。
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます)
2014年06月09日
教団独立記念祭 勢参拝
カテゴリ:行事報告
昨日は、金光教本部にて教団独立記念祭が仕えられ、参拝させていただきました。
教主・金光さまが祭主としてご用に立たれ、祭典が麗しく盛儀に仕えられ、金光教教師として40年ご用に立たれた方々の褒賞(ほうしょう)の儀と、このたび新たに教師としての願いを立てられた方々の教師新任の儀、金光学園のブラスバンドによる演奏、祭典後には信徒の体験発表などがありました。
ありがたいことに、私も教会長はじめ皆さまと参拝でき、教師40年の先生方の背中に将来の目指す姿を、また、教師任命の様子にご本人やご家族、周りの方々の思いを想像しながら、初心に立ち帰らせていただきました。
また、今春ひと月ほど、お体が優れずご静養なさっていた教主・金光さまが、昨日は祭主として、また教師40年褒賞と新任教師任命のお役に立っておられるお姿に、ご心中にあられるであろう篤い御思いを感じ、こみ上げてくるものがありました。
さらには、体験発表されていた方の表情、しぐさ、雰囲気、表現、内容から、このお道の信心によって、心豊かな生き方に変わり、幸せになれること、育まれる優しさ、あたたかさ、懐の広さ、尊さ、その確かさが伝わってきて、ジーンとくるものがありました。
ここからも、毎日こころ新たに心磨きを続け、ご用に立たせていただきたいです。
写真は、教師新任の儀式の様子です。教主・金光さまから新任教師の代表者に任命書が手渡されています。
きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。