2015年09月15日
東北復幸支援活動H27 2日目(8/9)
カテゴリ:東北復幸支援
みんな元気に朝を迎えることができ、天候もお繰り合わせを頂いて、涼しく晴れ間が広がっていました。部屋から見える眺めには、水平線に沿って太陽の光が広がっていて、すがすがしい心になりました。
朝7時から、男子部屋を解放して朝のご祈念と連絡事項、打ち合わせを行いました。ご祈念の時には、「東日本大震災 御霊追悼の祈り」をみんなで奉唱し、亡くなられた御霊様のことをご祈念させていただきました。朝のお話では、昨日、教会長が玉島テレビの横田さんにお話をされたこと、「ここにいるだけで大成功」とのお話を共有させていただきました。
とにかく、この場に来させていただいて、イベントを開催できること、そのことを先ず喜び、お礼を申すことを大切にさせていただきましょう、ということを申し上げました。
朝食を済ませた後、みんなで手分けをして、部屋の片付けや荷物の搬出を行い、チェックアウトを済ませて、きょうの開催場所、田老サポートセンターへ向かいました。
9時過ぎには、搬入を開始し、事前に岡山から送っていた、ビンゴゲームの賞品用のお米や乾麺、ハチミツなどを箱から取り出して陳列を行い、演奏やハンドマッサージの準備を進めました。
「果たして住民の方は、参加してくださるだろうか?」という心配をよそに、既に数名の方々がサポートセンター内の設備を利用しておられ、マッサージ機にかかっている方や、お茶を飲んでテレビを鑑賞している方などとお会いでき、安心できました。
準備を進めるうちに、次々と人が集まり、大変ありがたく感じつつ、一方で進行や歌のことなど、緊張が高まってきました。
ありがたいことに、サポートセンターのスタッフの方々が親切に協力してくださり、控え室までご用意してくだって、お茶を一人ひとりに出してくださり、ゆっくりと本番を迎えることができました。
一冊ずつ、みんなで塗り絵をして仕上げた「歌詞ノート」を一人ずつに配り、いよいよ本番です。
今回は、大阪のみなさまが「鳴子(なるこ)」と呼ばれる、高知のよさこい祭りで使われる、打楽器を用意してくださり、それもお配りして、歌だけでなく、演奏にも参加していただけるようにしました。
これが、思いのほか好評で、すぐにみなさま揃ってガシャガシャと音を鳴らせるようになり、オープニングの「あまちゃん」に続いて、「希空(まれぞら)」も軽快に音を鳴らして盛り上がりました。
音楽は、「夏の思い出」「ふるさと」「上を向いて歩こう」「翼をください」と、昔懐かしい歌が続き、最後に「港町ブルース」では、歌詞の最後のところ「・・・港 宮古 釜石 気仙沼」を少し変えて、「・・・港 宮古 釜石 田老町」として、みんなで「田老町」と繰り返して声に出し、称え合いました。
その後、当教会で毎回のご祈念の最後に行っている「100まで生きる体操」を行い、続いて大阪のご婦人二人による指を使った頭の体操を行いました。
右手は親指から、左手は小指から、数を数えていくもので、意外と難しいものです。みなさん思うように動かないご自分の指の様子に、笑いをこらえられないようでした。
そして、いよいよビンゴゲームです。始めのうちは静かに進みましたが、そのうちに「リーチ!」と声が上がって、しばらくしたころ、ついに最初のビンゴが出ました。
ビンゴになった方から順番に、好きな賞品を選ぶことができます。一番人気はお米(2キロ)です。他には乾麺などもありましたが、次に人気だったのは、天然のハチミツでした。
一通り、全員の方に賞品が行き渡り、それでも乾麺がたくさん残っていましたので、最後に乾麺のセットをかけた大じゃんけん大会を行いました。これも、大盛り上がりでした。
最後に、「ふるさとは今も変わらず」という、新沼謙治さんが震災後に作詞・作曲された曲をみんなで歌い、化粧ポーチとお菓子袋をお土産にお渡ししながら、お帰りの方々のお見送りをさせていただきました。
片付けを終えて、控え室に戻り、スタッフの方々が出してくださったお茶を頂いて、一服。メンバー同士お互いにねぎらい合いました。
その際、サポートセンターのスタッフの方々から、私たちにお土産と、さらには隣接する仮設商店街の「善助屋食堂」さんの昼食をご馳走してくださることになり、このようなことは初めてで、恐縮しておりましたが、ご好意をありがたく頂いて、みんなで名物の「どんこ丼」などを頂きました。
どんこの唐揚げは、サクッとした歯触りで、中身はフワッと、すぐにかみ切れる柔らかさで、少し甘みのきいたソースと相性が抜群で、温泉卵と混ぜてあっという間に頂きました。みんな声に出して「美味しい!」と、疲れも吹き飛んだ様子でした。
少し休憩をして、グリーンピア内にある仮設商店街やサポートセンターを出発し、海岸へ向かいました。
そこは、「スーパー防潮堤」と呼ばれる場所で、未だに津波の爪痕が残り、一方で防潮堤をさらに高く工事している様子や、山を削って高台の土地を整備し、住宅の建設準備を進めている様子などを視察しました。
それぞれに祈りを捧げ、田老町を出発。次は、40分ほど移動し、「浄土ヶ浜」という景勝地で少し観光をさせていただきました。
ちょうど海水浴シーズンでもあり、海で泳ぐ人たちで大賑わいで、駐車場はかなり遠くの臨時駐車場にやっと止めることができました。
水がきれいで、まさに極楽浄土のような光景が広がり、みんな心身共にリフレッシュできました。
そして、さらに車を1時間ほど走らせて、今度は大槌町役場に立ち寄り、みんなで「東日本大震災 御霊追悼の祈り」を奉唱して、ご祈念をさせていただきました。
途中でトイレ休憩などを挟みながら、きょうの宿である、「嘉宝荘(かほうそう)」という昨年春に高台に再興された民宿に到着しました。
女将さんがあたたかく迎えてくださり、それぞれにお風呂に入って汗を流し、名物の近海でとれた海の幸、料理を心身ともにたっぷりと頂きました。
「60年かけて築いてきたものが、すべて流された。もうやめようと思ったが、全国からのファンやボランティアの支援で助けられた。その“こころ”が嬉しかった。だから、食堂の名前は“こころ”。あと60年生きるつもりで、1年生からやり直し。だから、部屋の名前は1年1組~8組・・・」と、以前に女将さんから伺ったことが、何度も思い出されます。
その女将さんたちが、一生懸命おもてなしをしてくださる料理が、とてもありがたく、満腹になっても、さらに頂きました。とにかく、美味しいです。
そして、一同はゆっくりと体を休めることができました。
2015年09月13日
東北復幸支援H27 1日目(8/8)
カテゴリ:東北復幸支援
8月8日、朝7時に教会に集合し、ご祈念をとおして、ここまでの御礼と、一人ひとりの身の上の安全、そして、支援活動の成就を祈願させていただきました。
昨年は台風が接近する中の移動で、なんとかぎりぎりのところを進めることができましたが、ことしは連日暑い日が続いており、被災された方々にとっては、暑い中集会所に移動していただくだけでも大変なことでしょうし、そのことを心配しておりました。
また、昨年ご一緒してくださった、従兄弟でありボーカルの松本清治さん(麻布教会)がお体を崩しておられ、ことしはボーカル不在という状況で、歌の会を開くことになり、不安に思っておりました。
一方で、関係教会でもある、金岡教会の信奉者とそのご友人の5名のご婦人から、参加の希望を頂いており、心強く感じておりました。
ボーカルについては、ソワソワした思いがありながらも、「これも神様のお繰り合わせ」と心の中で頂いて、「よし、被災された方々に、ボーカルになっていただこう」と気持ちを切り替えて、「大丈夫、神さまが良いようにしてくださる」と言い聞かせながら、自分なりに歌声ひろばの司会進行や、歌の流れをシミュレーションしておりました。
ご祈念の後、車二台に乗り合わせて出発、途中に玉島テレビさんに寄り、今回同行取材してくださる横田さんを載せて、新倉敷駅に向かいました。
その車中でのこと、横田さんが東北に行くのは初めてであることと、四年前の第一回目の番組の出来がひじょうに良かったことから、ご自身には大変なプレッシャーがあることや、不安があることなどを話しておられました。
すると、送迎の為に運転してくれていた父(教会長)が、「横田さん、もうあんたはここにおるだけで大成功よ。もし、あなたがここに来てくれてなかったら、映像を撮ることはできないわけだし、その場にいること自体が成功なんよ。あとは良いようにできるから」と横田さんを励ます言葉を送りました。
横田さんは、その言葉にとても心が救われたらしく、「ありがとうございます。おかげで、気持ちがすごく楽になりました」とおっしゃっており、新倉敷駅に到着するなり、すぐに撮影が始まりました。
今回は、事前に楽器などを宅急便で送らず、それぞれが持ち運ぶことにしていた為、みんな両手がふさがって大変でしたが、お互いが助け合って、荷物を持ち合って、駅の構内を通り改札口まで移動することができました。
そこで、横田さんから「出発前に、ひとことインタビューをさせてほしい」との依頼を受けましたので、2分ほどで今回の意気込み、願いとしているところをお話させていただきました。
「先ずは、みんなが無事で行って帰れること。そして、私たちの演奏やイベントをとおしてみんなの心が一つになり、被災された方々が、昔懐かしい思い出とつながり、その場にいる人同士がつながり、そして、そのことが未来へと繋がっていきますように」。
不安な気持ち、心配を抱きながら、改札を通り、新幹線に乗って、いよいよ移動を開始しました。
岡山で乗り換え、途中、新大阪では、伊地知操さんをはじめ5人の奥様方が合流されました。その5人の皆さまは、乗車するなり、持ち込まれた缶ビールをプシューと開けて一杯やり始められました。とてもお元気な方々で、心強く感じました。
一方で、午前10時頃のことですので、乙島からのメンバーの優大くん(中二)は、目を丸くして驚いてしまい、その様子がおかしかったようで、5人の奥様方とも打ち解けて、わいわい楽しみながらの移動となりました。
伊地知さんは、ことしの年頭、地元の神社にお参りをした際、おみくじで「末吉」が出て、「人のお役に立つべし」との教えがあったことから、いろいろと考えが深まるうちに、ふと乙島教会の東北支援活動に注目され、年齢的なこともあり、これが最初で最後の気持ちで参加したい、何かできることをさせていただきたい、との思いで参加されました。
東京駅に到着し、各自荷物を協力し合って持ち出し、東北新幹線のホームへと移動しました。そして、ホームに付いた時、廣野さんが「スマホが見当たらない・・・」とおっしゃり、荷物や体をくまなく調べましたが、見つからず、新幹線の自席の前方にあるネットに置き忘れたことに気付きました。
ここから元に戻って探すことは難しく、「時、既に遅し」でしたので、駅の忘れ物センターに問い合わせをして、見つかるのを待つことになりました。
そうしたなか、松本清治さんがホームまでみんなを見送りに来てくださり、それぞれと握手をして、新幹線が出発するまで、最後まで見送ってくださいました。清治さんは、一緒に行きたいお気持ちがあっても、お体のことがあり、それは叶わず、今回は東京からご祈念をして応援してくださいました。
私は、清治さんの思いと一緒に東北に向かい、仮設住宅では、清治さんの祈りと一緒に進めさせていただこう、と心に誓いました。
東北新幹線では、車中で思い思いの弁当を頂き、体を休めながら向かい、ついに盛岡駅に到着しました。駅レンタカーのお世話になり、2台のワゴン車に分乗して、先ずは最初の目的地、盛岡教会に向かいました。
先ずは、全員揃ってご祈念をさせていただき、お結界にて、この度お繰り合わせを頂いて支援活動に参加させていただいていること、ここまで無事に来させていただいたことの御礼を申し上げ、4日間の無事をお願申し上げました。
その後、奥原幹雄先生を囲んで記念写真を撮り、いよいよきょうの最終目的地、グリーンピア三陸みやこに向けて出発しました。途中、道の駅に立ち寄って休憩を挟みながら、約2時間車で移動し、無事に到着することができました。
チェックインした後、直ぐにお借りしている会議室に楽器などの荷物を搬入し、1時間リハーサルを行い、並行して大阪の5人を中心に、住民の方々にお土産として配るお菓子の詰め合わせを作る作業に入りました。
リハーサルを終えて、私はふと忘れ物をしたことに気付き、慌てて一人、宮古市内まで40分くらいかけて買い物に行くことにしました。その間、それぞれ部屋に荷物を持ち込み、ホテルにある食堂で夕食をとりました。
私の方は、なんとか宮古市内のお店に、閉店20時ぎりぎりに到着し、忘れたもの、ビンゴカードを買うことができました。これで準備万端、みなさんと合流して夕食を終え、お風呂に入って疲れを癒やして、明日に備えました。
2015年09月11日
ずっとありがたい事(音声ブログ)
カテゴリ:音声ブログ
朝の勢祈念時のお話を音声ブログとして、聞くことができます。
9月11日のお話が、音声ブログとして更新されています。
↓こちらをクリックすると、その音声が聞けます。
ずっとありがたい事 H27.9.11
今回は、教会長による「ずっとありがたい事」というお話です。
お時間のよろしい時に、お聴きくださいませ。
きょうもお越しいただき、ありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2015年09月11日
信心で受ける(音声ブログ)
カテゴリ:音声ブログ
朝の勢祈念時のお話を音声ブログとして、聞くことができます。
9月10日のお話が、音声ブログとして更新されています。
↓こちらをクリックすると、その音声が聞けます。
信心で受ける H27.9.10
今回は、教会長による「信心で受ける」というお話です。
お時間のよろしい時に、お聴きくださいませ。
きょうもお越しいただき、ありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2015年09月11日
忘れ物(音声ブログ)
カテゴリ:音声ブログ
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9月9日のお話が、音声ブログとして更新されています。
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忘れ物 H27.9.9
今回は、教会長による「忘れ物」というお話です。
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きょうもお越しいただき、ありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。