2014年06月09日

教団独立記念祭 勢参拝

カテゴリ:行事報告

昨日は、金光教本部にて教団独立記念祭が仕えられ、参拝させていただきました。

 教主・金光さまが祭主としてご用に立たれ、祭典が麗しく盛儀に仕えられ、金光教教師として40年ご用に立たれた方々の褒賞(ほうしょう)の儀と、このたび新たに教師としての願いを立てられた方々の教師新任の儀、金光学園のブラスバンドによる演奏、祭典後には信徒の体験発表などがありました。

 ありがたいことに、私も教会長はじめ皆さまと参拝でき、教師40年の先生方の背中に将来の目指す姿を、また、教師任命の様子にご本人やご家族、周りの方々の思いを想像しながら、初心に立ち帰らせていただきました。

 また、今春ひと月ほど、お体が優れずご静養なさっていた教主・金光さまが、昨日は祭主として、また教師40年褒賞と新任教師任命のお役に立っておられるお姿に、ご心中にあられるであろう篤い御思いを感じ、こみ上げてくるものがありました。

 さらには、体験発表されていた方の表情、しぐさ、雰囲気、表現、内容から、このお道の信心によって、心豊かな生き方に変わり、幸せになれること、育まれる優しさ、あたたかさ、懐の広さ、尊さ、その確かさが伝わってきて、ジーンとくるものがありました。

 ここからも、毎日こころ新たに心磨きを続け、ご用に立たせていただきたいです。

教団独立記念祭
 写真は、教師新任の儀式の様子です。教主・金光さまから新任教師の代表者に任命書が手渡されています。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 


2014年06月09日

私の41年(音声ブログ)

カテゴリ:音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。

http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/

今回は、教会長による「私の41年」というお話です。
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます)

2014年06月08日

初心に帰る日

カテゴリ:心磨き

みなさんにとって、初心に立ち帰る特別な日はありますか?

 きょうは、金光教本部で教団独立記念祭が仕えられます。
明治33年(1900年)に、一つの宗教・教団として公認され、そこに命をかけて尽力なさった先人たちの志を受け継ぎ、世の為に今後のさらなる展開を祈願する祭典です。

 ちょうど3年前のこの祭典において、私は金光教教師としての任命を頂きました。

 その時は、緊張と期待と不安とが入り混じって、ドキドキしたままで、あまり記憶に残っていないのですが、11ヶ月間、同期と一緒に修行をして、ようやくそこに至ったこと、また祖父の願いを実現する第一歩を踏み出したことの感激がありました。

 しかし、正直なところ、3年経ってみるとその感激は薄れ、今の立場がごくふつうのことのようになっている自分がいます。

 また、ご用にお使いいただいているおかげで、「ありがたい」と感じることは日に日に増えていますが、人さまに「ありがたい」と思われ、人のお役に立てている、というあり方には程遠いです・・・

 きょうの祭典への参拝をとおして、金光様が「お世話になるすべてに礼を言う心を大切に」と教えてくださったそのお言葉を頂きなおし、初心に立ち帰り、3年前の想いを心の中で反芻する一日にさせていただきたいと願っています。

 独立記念祭早朝参拝
 写真は、けさ3時45分頃の金光教本部境内の様子です。

 金光様は、毎朝この時間にお出ましになり、世界の平和と人々の助かりをご祈念してくださっています。(御五代、155年にわたって継承されています)

 ありがたいことに、参拝されている方々と一緒に、提灯でその御足元を照らして、お姿を拝し、これまでの御礼を申し上げることができました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 

 

2014年06月07日

他者の目でも見ていますか?

カテゴリ:心磨き

心磨きの際、他者の目線を取り入れると、新たな発見があろうかと存じます。

 昨日、いつものように父と一緒に、金光教本部へ夕方のお礼参拝をさせていただきました。

 車を駐車場に止めて、境内につながる階段を上がり、毎日参拝されている或るご婦人とごあいさつを交わした際、「いいですねえ。いつも親子で・・・」と声をかけていただきました。

 思いがけないお言葉にありがたく、お礼を申しまして、同時に気付かされました。
「ああ、毎日こうして父と参拝しているが、それが当たり前のことになっていたな」と。

 時には、参拝の道中で父と言い合いになることもありますし、決して気持ちの良いことばかりではありませんが、そのご婦人のお言葉のおかげで、他者から見れば、当たり前のことではなく、ありがたいことであり、それは、私にとってもそうである、と認識させていただきました。

 その帰りの道中、東の空に虹がかかっているのが見えました。思わず土手沿いで車を止めて、スマートフォンで撮影しました。

 
 その時、土手の下を小学生の子どもたちが通りかかり、こちらにあいさつをしてくれました。私も「こんにちは。」と返したところ、「おじさん、何やってるの?」と問いかけてきました。

 私が撮影している様子が気になったのでしょう。「でも、おじさんは無いじゃろ!おにいさんよ!」と思いながら苦笑いして、「虹が見えるよ~。あっち!」と虹の存在を教えてあげました。

 子どもたちの目線では気付けなかった様子でしたが、少し土手を上がると見えたようで、「あ、ほんまじゃ!」「あ。あった、あった!」と喜んでくれて、今度は、他の友達にも呼びかけて、「虹が出とるよ~。あの“おじさん”が教えてくれた」。

 「また、“おじさん”って言われた・・・でも、子どもたちから見れば、私は立派なおじさんか。」と、認めている自分がいました(笑)

 そして、「バイバイ」とお互いにあいさつして、「ありがとう」、「おじさん、ありがとう~!」と
また、“おじさん”と言われ(涙)・・・車に乗って、そこを後にしました。

 この時私は、子どもたちから見られたら、立派な“おじさん”である、ということに気付かせていただきました。(自分の中では、まだ二十歳なのですが。)

 しかし、それをちゃんと自覚しないといけないですよね。

 こんなふうに、自分のことは見えているようで、見えていないことがたくさんあるのだと思います。当たり前だと思っていたことが、実はありがたかったり、未だ若いと思っていても、年老いて見られたり、探せばもっとたくさんあるはずです。
 

 他者の目線、素直に受け入れて、大切にさせていただきたいですね。

 さらには、父が教えてくれたこととして、金光教の教祖様は、いつも物事を「神さま」の目線で見ておられたそうです。

 そうして、他者からの何気ない発言や目線、出来事だけでなく、数々の苦難をも、神さまからの差し向け=試練として受けておられ、苦難を乗り越え、生神様と称えられ、たくさんの人を助ける働きをなさったのです。

 私たちも、目の前の課題、辛いこと、苦しいことを、神さまの目線で見ていくことで、試練であり、先につながる契機となること、と受け止められるよう、心を磨き続けたいものです。
虹2
 写真は、その虹です。
神さまは、私と子どもたちの会話を、どうご覧になっていたのでしょうか・・・

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 

2014年06月07日

私の心(音声ブログ)

カテゴリ:音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。

http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/

今回は、副教会長による「私の心」というお話です。
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます)