2014年05月18日

“The Principle Parent of the Universe”

カテゴリ:神さまについて

きょうは、天地金乃神様の月例祭(月毎の天地金乃神様への御礼の祭典)に併せて霊神祭(霊様=亡くなられた先人、祖先、家族などへの御礼と霊様の立ち行きを願う祭典)をお仕えします。

 「こころの宮」を運営する金光教乙島教会では、天地金乃神様を奉斎していますが、天地金乃神様は、天地自然の働きや私たち人間、あらゆる命を活かし育む大いなる存在であり、私たちの命の元であることから、金光教祖様が「親神様」とも表現されています。
 

 「神は人間本体の親である。信心するのは親に孝行するのと同じようなものであ
る。」、「信心する者は、一生死なない父母に巡り会い、おかげを受けていくのである。」というふうに、神さまを親として頂く教えを数多く遺しておられます。

 現在、金光教は海外にも教えが伝わり、教会も増えてきていますが、「天地金乃神様」は、英語では“The Principle Parent of the Universe”と、天地や宇宙の生みの親である根源的な存在として表現されているほどです。

 そして、金光教祖様は、信心するということは、身の上のことを何なりとも神さまに祈願して、道が開かれ、助かり、願いが成就して、「おかげ」を頂くことではありますが、同時に、私たちの命の元、親のような存在である神さまに孝行することでもあり、一生死なない親のもとで「おかげ」を受けていくことができる、と教えておられます。

 みなさんは、神さまの存在をどのように感じ、心を向けておられますか?

 私たちは、親神様として頂き、ご恩を感じながら、きょうはここまでの御礼として、また孝行として祭典をお仕えさせていただきます。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。



  

2014年05月17日

ゴーヤと先の不安

カテゴリ:心磨き

一昨日、庭に8本のゴーヤの苗を植えました。あばしゴーヤ、ジャンボゴーヤ、節なりゴーヤ、豊作ゴーヤの4種類を2苗ずつです。

 一日経って、一見しただけでは成長しているようには見えなかったのですが、よく見ると、ちゃんとネットに絡み付いていて、驚きました。

 昨年は、残念ながら6本のうち2本がうまく育たなかったので、今年こそはうまく育ちますようにと祈って、お水をやり、毎日様子を確認しています。

 今のところ、「神さまにお願いしたし、神さまが良いようにしてくださるはずだし、肥料も土も整えたし大丈夫」という思いですが、暑くなるか、寒くなるか、風が吹くか、病気になるか・・・どうなるかは未だ分かりませんし、不安もありながら、楽しみにしています。

 この時、ふと気付いたのですが、ゴーヤの成長に限らず、生活上のことも、何事も「神さまが良いようにしてくださるはずだから、大丈夫」と思えたら、いいのになあ、ということです。

 私たちは、生活を送る上で、さまざまな不安や不信、心配と向き合っています。私自身も、毎日ああでもない、こうでもないと心配ばかりしていますが、修行を続け、心磨きをしているおかげで、何とか少しずつ「ここまで神さまがよいように整えてくださってのことだから、この先のことも大丈夫」と言い聞かせて、心を落ち着かせることができ、自分や周りを責めたりすることなく、信じて、物事が成就する時節を待つように心がけています。

 先が見えない不安、相手に対する不信、うまくできるか分からない心配と、皆さんはどう向き合っていますか?

ゴーヤ①

 
 
 
 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年05月16日

素直にできたら・・・

カテゴリ:改心病気・健康・美容

「こころの宮」の神さまは、神の思いに沿わない人間を切り捨てるようなことはされません。むしろ、人間が天地の間に生かされて生きていることを忘れて、悩み苦しむ姿を憂いている神さまです。間違ったことや過ち、人の心を傷つけてしまったことなど、神さまに心を込めてお詫びをして、改まっていくことで、心新たに未来に進むことができます。

 初代・岩本寅雄師にとって、道が開かれた原点は、「反省すること」「心を改めること」でした。概要はこのサイトの「私たちについて」のページの「成り立ち」に掲載されているとおりですが、詳しくは次のように述懐しております。

 「…私は、胃下垂、胃下垂と言っていたけど、胃が悪いということは、こっちが間違えておる。私が立派な先生になろうと思うて、表行(わぎょう=荒行)をした。私の欲のために、表行をしたんだから、胃さま、胃さま、すみませんと、両手を合わせてお腹の方に向けて、私の体にお詫びを申しましたら、心がすっと落ち着きました。百日の願いを立てての金光教本部への参拝を始めて、ちょうど50日になりますから、金光様に『ちょうど日参をさせていただいて50日目になりまして、有難うございました』とお礼を申したら、金光様が『ハイハイ、結構でした。明日から家で拝んどきなさい』とおっしゃって、家で拝んでいる日に、初めての参拝者が現れたのです…」

 つまり、たとえ自分の体に対してであっても、反省をし、お詫びをする素直な姿勢を、神さまは喜ばれ、私たち人間の心も晴れやかになり、道が開かれるのです。

 私自身も、苦しいときに、毎日反省をしてお詫びを申すことしかできず、ひたすらに改まりを願い続けることで、なんとかその日その日を生きることができたので、実感があります(取次者の紹介、生い立ちを参照)。

 何事にも素直に反省して、お詫びをして、改まることは容易でないことかもしれませんが、生きるか死ぬか、後の無い切羽詰った状態では、意外とできるものです。と申しますか、自分のどこに問題があるのかを必死に探さざるを得ない、藁をもつかむ思いなのだと思います。

 それが常平生に、素直にできたら、家族や周りの方々との人間関係もよりスムーズになり、自分自身の心もすうっと晴れますよね。

 きょうも素直に反省できていますか?
ころちゃん(泣き)

 
 
 画像は、「こころの宮」のフェイスブックページhttps://www.facebook.com/nayamisoudan.kurashiki
のキャラクター「コロちゃん」です。コロちゃんも泣きながら反省しているようです。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年05月15日

毎日どんなことに感謝していますか?

カテゴリ:人間関係心磨き

「こころの宮」では、取次者が毎日、悩み事を聞かせていただき、神さまへの願い事の祈願を一緒にさせていただいております。

 そんな、私ども取次者も、毎日神さまに心を向けて、お願い申し上げながら、心を磨く稽古を続けています。特に意識して取り組んでいるのが、何事にも感謝して、「ありがとうございます」とお礼を申す稽古、心磨きです。
 

 初代・岩本寅雄師(祖父)は、101歳の長寿を頂き、最期まで「ありがとうございます」とお礼を申して死を迎え、今もなお、私たちの心に生き続けていますが、生前一日に1,300回のお礼を申す稽古に取り組んでおりました。

 一日に6時間の睡眠を取るとして、起きている間、実に一分間に1回以上のペースです。私は、まだとてもそれに及ばないですが、朝起きてから夜休むまで、できるだけ多く「ありがとうございます」と心を込めてお礼を申す稽古に取り組んでいます。

 空気やお水、お土地、海、川、野山、森、風・・・天地自然の働き、生きとし生けるものの育み、命、体中の働き、お世話になっているいろんな人々、家や建物、車や衣服・・・いつも使っている物など、常日頃の生活と切っても切り離せない、お世話になっている全てへの感謝の心。

 また、その日その日、或いは時間をかけて願っていた事柄が成就したときの、感謝の心。

 ここまでは、何とか毎日意識して取り組むことはできそうですが、現実の生活やお仕事、人間関係の上にはなかなかそう思えないことがたくさんあります。

 思い通りに行かないこと、腹の立つこと、納得の行かないこと、とても感謝の気持ちにはなれないようなことにも、お礼を申すことは容易なことではありません。

 正直に申しまして、私自身も毎日のように腹を立てたり、悩んだりしている自分がいて、それが情けなく反省し、また神さまに心を向けてお礼を申す稽古を繰り返しています。

 自分にとって不都合なことをも、私に必要なこと、神さまから頂いた試練として、ありがたく受け止め、感謝することができたらいいのですが…私はまだまだです。

 みなさんは、毎日どんなことに感謝していますか?

 さくらんぼ__

 写真は、裏庭で採れたさくらんぼです。天地のお恵みに感謝。暑い日も、寒い日も雪の日、風の日も耐えて花が咲き、実が成り、長い月日、天と地、雨と土など、いろんな働きを頂いてようやく熟したお恵みです。・・・そう思うといっそうありがたく、美味しく頂けそうです。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年05月14日

70周年御礼の祭典をお仕えしました②

カテゴリ:行事報告

去る5月11日には、「こころの宮」を運営する金光教乙島教会の70周年御礼の祭典をお仕えすることができました。

 祭典では、祭詞奏上、玉串奉奠に続いて、「花は咲く」のピアノ伴奏を聞きながら、参拝者一同による献花(けんか)が行われ、一人ひとりがここまでの歩みに御礼を申して、神さまにお供えをさせていただきました。(写真は献花後の様子です。)

 また、吉備舞(きびまい)の奉納が行われ、信徒の体験発表が行われました。
(学校の先生をしておられる方の、目の病気との闘いと、お仕事の上での課題について、参拝を通じて心のあり方を見直し、道が開かれたお話でした。詳しくは後日掲載させていただきたいと存じます。)

 その後、教会長の岩本徳雄師から挨拶があり、引き続いて特別参拝者(国会議員、県議会議員、市議会議員、自治会長、顧問弁護士など)からもお祝いの挨拶を賜り、最後に、みんなでワンハート・ブラスによる演奏に合わせて、「ふるさと」「上を向いて歩こう」を元気に歌って祭典を終えました。

 このように麗しく盛儀に祭典をお仕えすることができ、まことにありがたく、もったいないことです。70年間の「おかげの舟」(5月11日のブログ参照)に乗せていただいて、ここまで進ませていただき、そのご恩を忘れないように、これからも毎日、神さまから頂いている「こころ」を磨いて、皆さまと共にお育ていただきたいと願っています。

献花後2

きょうもお越しいただきありがとうございました。
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