2014年07月06日

人前式にも神さまが

カテゴリ:恋愛・結婚神さまについて

昨日は、大切な恩人の結婚式に列席させていただきました。

 海の見える、開放感あふれるチャペルを会場に、心温まる挙式が仕えられ、ご家族やご親族、ご友人・職場、みんなが祝福なさり、私も感極まり、何度か涙しました。

 そして、私にとっては「人前式」は始めての体験でした。聞くところによると、最近では四人に一人くらいの割合で行われるそうですね。

 後輩に伺ってみても、人前式がごく普通なのだそうです。

 これまで、私は何度も列席してきましたが、いずれも「神前式」「キリスト教式」「金光教式」で、何らかの神職の方が儀式を仕えておられました。

 正直なところ、しばらくは違和感を覚えましたが、振り返ってみて冷静に見ていくと、なかなか道理にかなっているなあ、と関心させられます。

 神仏の代わりに列席者へ結婚を誓い、証人になってもらうようでして、今回は私たちが列席して証人となっただけでなく、新婦の親友の女性が代表して署名をされて、二人の誓いを確認し、それを皆さんにも披露されていました。

 神職がなさるところを、親友がなさったわけですね。

 それで、自分なりに整理してみたのですが、次のようなことを感じています。

・信頼関係ある神職が間に立つのなら意義はあるが、形式だけなのは敬遠されがち。
・列席者、親友が間に立つと、当事者の思い出も重なり、誓いも心に刻まれるはず。
・つまり、形式だけの神職は意義が薄く、中身、心、間柄が大事である。

 さらには、人前式ならではの良さがたくさんありまして、特に親友の方の働きにとても感動を覚え、神さまの働きを感じたことから、次のように思いました。

・親友はすなわち、ご本人にとって恩人であり、神さまを感じる存在である。
・神さまに等しい存在であり、生身の神さまが間に立っての式とも感じる。
・人前式は一見、神さま不在に思えたが、むしろ神さまが現れている。

 もちろん、無心論者の方や、神さまを普段から意識しない方々にとっては、人前式で十分なわけですし、そもそもこうしたこと自体、お考えにならないかもしれませんが、私のような神職の立場からみると、「人前式」であっても、そこに神さまを感じざるを得ないのです。

 それから、きのうは、図らずも私が会社員の頃、最後に関わったプロジェクトのメンバー、恩人たちと再会でき、ありがたい思いでいっぱいです。

 と申しますのも、私は会社を退職する際に、お仕事を引き継いできたのですが、ずっと心残りがあり、これまでの4年間、毎日欠かさず、受け継いでくださったことにお礼を申し、そして勝手をして退職したことをお詫び申すことを心中で神さまに申し上げることを続けてきたのですが、その方々と一同に会することができたからです。

 「ああ。このようにして、お繰り合わせをしてくださって、再会がかなうのか」と一人感慨にふけっていました。

 こうした感激、感動が、列席された方々、ご家族はじめお一人お一人の上に、さまざまな形であられたことを想像しますと、まさに神さまも一緒に喜んでくださり、
泣いてくださりしながら、現われてくださっていたのだと感じます。
 広島プリンスホテル
結婚式

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。




2014年07月06日

もったいないことです(音声ブログ)

カテゴリ:神さまについて音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。

http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/

今回は、教会長による「もったいないことです」というお話です。
 (※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年07月05日

おさがりスイーツ ~板屋の金時太鼓・蘇香味~

カテゴリ:おさがりスイーツ

お供えの物のお下がりの中から、興味深いスイーツなどを不定期でご紹介。

 第七回目は、勝間田郡勝央町にある板屋さんの「金時太鼓・蘇香味」です。

 先日、金光教勝間田教会で行われた集会でスタッフとしてお使いいただき、
参拝させていただいたところ、教会長先生からお土産として頂きました。

 「寅雄先生(=私の祖父)も頂いたかもしれないものですよ」と。

 じーーんときました。どうやら、私の祖父と三代教会長先生が懇意で、お互いに切磋琢磨しながら、ご用に励んでいたそうです。

 祖父は、こちらの教会の大祭で何度かお話のご用にお使いいただいたそうです。

 また、こころの宮/金光今日乙島教会では、朝・昼・夜の勢祈念の時間に、座って出来る健康体操を行っているのですが、そのお二人が始められたのだそうです。

 尊敬する祖父、おそらく50年ほど前に訪れたであろう場所。祖父を知る方にお会いでき、味わったであろうお菓子をお土産に頂き、ありがたく、戻って直ぐにご霊前にお供えさせていただきました。
 勝間田お菓子① 板屋さん、調べてみると創業1866年(慶応2年)とあります。
他にも、ロールケーキや、ボーロ、羊羹などがあり、喫茶店でもあるようですね。
http://nttbj.itp.ne.jp/0868382070/index.html#detail

食前の祈り
「しょくもつは、みな人の命の為に、天地の神の作り与えたまうものぞ。
何を飲むにも食べるにもありがたく頂く心を忘れなよ」
 
勝間田お菓子②
勝間田お菓子③
 
 どちらも、あんこの甘さがちょうどよくて、後味が爽やかです♪
「じーちゃんは、若いころ、父親の借金を返す為に上阪して羊羹屋さんをしていたし、和菓子と抹茶が好きだったなあー」と思い出しながら、有難く頂戴しました。

 長年の時を経て、代が変わり、命とご縁がつながって、頂ける味わい。

食後の祈り
「体(たい)の丈夫を願え。体を作れ。何事も体が元なり。」

 ごちそうさまでした♪

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

2014年07月05日

家族(音声ブログ)

カテゴリ:家族・親族心磨き音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。

http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/

今回は、教会長による「家族」というお話です。
 (※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

        
 

2014年07月04日

座ってどうなるのか?

カテゴリ:取次者の目線心磨き祈りについて

毎朝、「お結界」に座っておりますと、外から見られた自分のことが気になります。

 朝3時に教会を出発し、金光さまのお出ましをお迎えした後、戻って、4時から参拝される方からの願い事を受け付け、5時半過ぎまでの約1時間半が、参拝者が無く、 静かにご祈念をさせていただく時間になっています。

 今の時期ですと、少しずつ空が明るくなってきて、5時を過ぎると外を通りかかる方の様子も見えてきます。鳥の鳴き声を聞きながら、時間の移り変わりと一日の始まりを感じつつ、落ち着けます。(時には、眠くて集中力を欠くこともありますが)

 この時間帯、それほど人通りはありませんが、健康の為にウォーキングをされているであろう方、歩いて通勤されいる方、知っている人、知らない人、バイクで新聞配達をされている方、車で移動されている方など、10数名の方が通られます。

 私は「お結界」に座らせていただいて、ご祈念帳に参拝者からの願い事を書いたり、私自身が教会のこと、信奉者のこと、これまでお世話になった人たち、世の人々のことなど、ご祈念させていただいていることを書いて、一人心の中で祈りを捧げています。

 そんな時、外を歩かれている方がつい目に入ることがあり、さらには目が合ってしまうこともあります。なかには、外からこちらに向かって参拝される方もいます。

 こちらとしては、「今朝もウォーキングをなさっているのですね。ありがたいことです。おはようございます。どうぞきょうも一日お元気で。」という気持ちで、会釈をさせていただきます。座ったままで。

 そうすると、なんとなく、通りかかる方も好意的に受け止めて下さっているような表情になっておられ、何だか少し気持ちが通じた感じを受けます。

 ふと、通りかかる方は、外から中にいる私をご覧になって、どのようにお感じなのだろう?と思ったりします。

 「この人、何でじっと座っているんだろうか?」
 「何をしているんだろうか?」
 「ひまな人だなあ」・・・etc

 ここは「お結界」。神さまと人とがつながる結節点。人々の願いを神さまに届け、神さまの願いを人に伝える特別な場所。

 今となっては、こうした場があることが、どれほどの人たちの心の救いや助けになっていることか、実感が沸くのですが、20代前半までは、むしろ反対のことを考えていました。

 「座ってたって、何も始まらないじゃないか」
 「祈っても、具体的に社会がよい方向に変わるわけない」
 「より世の中の中心で、直接お役に立たなければ」

 そういう思いもあり、私は大学卒業後、社会人になることを願い、会社に就職しました。そして、たくさんの失敗をし、体験をし、世の中のお役に立てるであろう、事業を進めることができました。それはそれで、大変ありがたいことでした。

 しかし、今頂いているご用は違います。

 「誰かが座っているからこそ、安心を得られる」
 「祈りのない行動は、危うさを持ち合わせている」
 「グローバルに考え、ローカルに実行する」

 こんなふうに受け止め、座って祈ります。

 ですので、通りかかる方からどのように見られているのか、気になるところではありますが、こちらとしては、求められているかどうかに関わらず、また想いを感じ取っていただけるかどうかを問わず、ただひたすらに人々の身の上を願い、祈り続けています。

 果たしてお役に立てているのかどうか、まだ実感はありませんが、この働きが今の私の役目。取次者。引き続き心を磨き、いっそう座りとおしてまいりたいです。
広前
 写真は、朝5時過ぎごろ、「お結界」から玄関、外を見た角度です。
こころの宮/金光教乙島教会には、「お結界」が西と東の二箇所あります。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。