2015年06月01日

月末感謝祭(行事報告)

カテゴリ:お仕事人間関係取次者の目線子育て・教育・学業家族・親族恋愛・結婚祈りについて神さまについて行事報告

おかげさまで、6月を迎えさせていただいております。

月末感謝祭の折に配布しました、 「今月のニュース」を掲載させていただきます。

(※写真は、一部網掛けをさせていただいております。 ご了承くださいませ)  
5月のニュース 2H27

去る5月16日には、私たちの命の源であり、天地の間のすべてを活かしておられ、
「氏子あっての神」と仰せになる、天地金乃神様への御礼の大祭を、
麗しく盛儀にお仕えさせていただきました。

こうしてお祭りをお仕えさせていただけることも、大変ありがたいことと
感じております。

5月中も、ご参拝の方、メールやお電話などでの悩みごと相談、願い事祈願をとおして、
思いを聴かせていただき、神さまにお届けをさせていただきました。

転職、就職をされた方、今も就職活動をされている方、職場での人間関係、
経営に関わること、事故のトラブル、夫婦や親子の関係、子育てのこと、恋愛や結婚のこと、
病気や手術・リハビリのこと、さまざまお届けをさせていただく中、私(副教会長)自身、
今までに無くたくさんご祈念をさせていただきました。

皆さまの思いに耳を傾け、心を寄せる努力をしておりますと、
こちらの心が折れそうになることがしばしばございます。

しかし、そういう時にでも、「ここまで、ありがとうございます」と神さまにお礼を
申し上げ、ご祈念帳に記してお祈りをさせていただくと、不思議と次の展開が
見えてきます。

まだまだではございますが、6月もいっそう精進させていただき、
日々の御用にあたらせていただきたいと願っております。

きょうもお越しいただき、ありがとうございました。  
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

        

 

2015年05月03日

御取次(音声ブログ)

カテゴリ:取次者の目線心磨き音声ブログ

朝の勢祈念時のお話を音声ブログとして、聞くことができます。
4月12日のお話が、音声ブログとして更新されています。

  ↓こちらをクリックすると、その音声が聞けます。 
御取次 H27.4.12

今回は、教会長による「御取次」というお話です。

先日より、旧会堂の広前の床の改修作業が始まったが、その中で、物を片付けているうちに、
いろんなものが見つかった。

その一つは、私(教会長)が書いたメモ帳で、昭和50年9月29日に信治(長男、現副教会長)が産まれたときの様子が書かれたものが出てきた。

もう一つは、私が40年以上前に書いていた日記である。
久しぶりに目にすると、殆ど忘れていることばかりで、「そんなことがあったかな?」と自分が書いたことなのに、忘れてしまっていることが多くあった。

一方で、それだけの月日が経っていても、今も変わらずに心に残っていることがある。

それは、「御取次」である。

当時の教主様であられる四代金光様から教えて頂いたこと、それからもずっと私の心の中で頂いている教えである。

あらためて日記帳を通して再確認することができた。

御取次で頂いたことは、ずっと変わらず私の中で行き続けているものなのである。

また、取次者として参拝者に神さまが教えてくださることや、神さまの御思いをお伝えしているが、それだけ責任のあること、その方にとって生涯に関わることでもあると、実感している。

こうした内容がお話になっています。
お時間のよろしい時に、お聴きくださいませ。

きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

 

2014年08月19日

トイレの水が呼び起こす記憶

カテゴリ:取次者の目線東北復幸支援神さまについて

支援活動1日目、新幹線で隣に座ったおばあさんから、さまざまなお話を伺いました。

 8月9日昼、東京駅でいとこの松本清治さん(俳優)と合流し、5人で東北新幹線に乗りました。車中、私の左隣が清治さんの席で、右隣には83歳のおばあさんが乗ってこられました。

 にこやかな表情、上品な言葉遣いの方で、清治さんがおばあさんの荷物を頭上の棚に載せて差し上げたりしているうちに会話が弾み、3人とも直ぐに打ち解けました。

 お昼時でしたので、お互いにお弁当を広げて、話を進めました。

 伺いますと、女川のご出身で、この度の東日本大震災の被災者でした。ご主人を11年前に亡くされ、震災当日は車を運転しながら、命からがらで助かったことなど、 いろんなお話を聞かせてくださいました。

 ・目の前に大津波がどす黒い色でぐるぐると回転しながら、すべての物を流した。
 ・家が浮力で持ち上がり、瞬く間に崩れながら津波に飲まれた。
 ・車や人やいろんな物がぐるぐると流された。
 ・自分の車の前後が大津波で、奇跡的に助かった。
 ・神も仏もない、とおっしゃる方もあるが、私は神仏が存在すると思う。
 
 ・しばらく避難所での生活、何も無くて不自由した。
 ・幸い、息子が東京に住んでいて、迷ったが移り住むことにした。
 ・東京では独り暮らし。もし災害が起きたら忘れられるのが恐いし、寂しい。
 ・女川のお墓は石巻に遷した。きょうはお盆で、そこにお参りする。
 
 ・某美術館に過去の津波の絵画があるが、水がきれいで、あれは現実と違う。

・・・といった具合に、震災発生時のことから、現在に至るまでの状況や心境をお話くださいました。

 私は途中から、「生神金光大神様」と心の中で唱えながら聴かせていただくようにし、新幹線の椅子に座りながらも普段の御取次の心構えにならせていただきました。

 じっくりと聴かせていただき、おばあさんの心の中の思いを感じさせていただくように意識を集中して、ご祈念をさせていただきました。

 そして、このようにもおっしゃいました。

 「水洗トイレの流れる水の様子を見ると、津波を思い出してしまい、恐いのよ。
だから見られなくなった。今でも夢に出てくるし・・・」

 ずっと被災地に常駐されてきた清水さんが、教えて下さったことと重なります。
「被災者の方々は、時間が経っても心に受けた辛さ悲しみは癒されることはありません。共に辛さ悲しみを共有して、生き抜くしかありません」と。

 さらに、おばあさんはこのようなこともおっしゃいました。

「震災直後、演歌歌手の○○さんが△△△△という持ち歌を歌っていたけど、私は聞いていてムカっときちゃった」と。

 このお話は、これから仮設住宅で一緒に歌を歌わせていただこうとする私たちにとって、大切な教訓とも言うべきことを教えていただいたように感じました。

(幸い、私たちのレパートリーには無い歌でしたが、こちらが良かれと思ってご用意している歌であっても、その方によっては不快な思い、辛い思いにさせてしまうことがある、と改めて思いました)
 

 これは後日談ですが、11日の時に歌詞ノートをお配りした際、「ふるさと」の所を開かれて、「この歌、私はしばらくまともに歌えなかった。涙が出てきちゃって。3年経って、今は歌えるけどね」とおっしゃる方があり、まさにそのことが現実となり、ドキっとしたのと、今は一緒に歌えると伺って少し安堵しました。

 それからも、いろいろなお話・・・戦時中に疎開して畑仕事をさせられたこと、シソジュースの作り方、女川の魚が美味しいこと、東京のお水は舌に膜が張るような感じがして飲めずミネラルウォーターにも慣れないこと、ご主人との生活は辛抱ばかりだったが有難いと思えること、若かりし頃江ノ島で映画のロケと遭遇し有名俳優さんとベンチで会話したこと、震災時に中国からの研修生をいち早く助けた経営者が二度前の波に流されたこと・・・など仙台までの約2時間近くの間、震災時のことだけでなく、楽しい思い出や懐かしいこと、ご苦労なさっていることなどをお伺いし、3人で時に笑いあったり、沈黙して考え事をしたりして過ごすことができました。

 先ほど申しましたように、心の中で「生神金光大神様」と唱えながら、「このおばあさんの心が安らぎますように」と願っておりましたが、今振り返ってみますと、おばあさんのおかげで、被災者の気持ちをお伺いすることができ、また演奏奉仕をさせていただく上での大事なこと、取り違えてはいけないこと、その心構えを教えていただいたとも思います。

 その時は不思議な思いもしつつ、また「神さまはこのおばあさんを通じて、私たちに何か大切なことを教えようとなさったのでは?」という思いを頂きながら、仙台でお別れをして、私たちはそのまま盛岡へと移動を続けました。

 盛岡教会4
 写真は、その後参拝させていただいた盛岡教会のご神前です。
台風の中、無事に到着できた御礼と、演奏奉仕の成就を祈願させていただきました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 
 
 

 

 



 


2014年07月04日

座ってどうなるのか?

カテゴリ:取次者の目線心磨き祈りについて

毎朝、「お結界」に座っておりますと、外から見られた自分のことが気になります。

 朝3時に教会を出発し、金光さまのお出ましをお迎えした後、戻って、4時から参拝される方からの願い事を受け付け、5時半過ぎまでの約1時間半が、参拝者が無く、 静かにご祈念をさせていただく時間になっています。

 今の時期ですと、少しずつ空が明るくなってきて、5時を過ぎると外を通りかかる方の様子も見えてきます。鳥の鳴き声を聞きながら、時間の移り変わりと一日の始まりを感じつつ、落ち着けます。(時には、眠くて集中力を欠くこともありますが)

 この時間帯、それほど人通りはありませんが、健康の為にウォーキングをされているであろう方、歩いて通勤されいる方、知っている人、知らない人、バイクで新聞配達をされている方、車で移動されている方など、10数名の方が通られます。

 私は「お結界」に座らせていただいて、ご祈念帳に参拝者からの願い事を書いたり、私自身が教会のこと、信奉者のこと、これまでお世話になった人たち、世の人々のことなど、ご祈念させていただいていることを書いて、一人心の中で祈りを捧げています。

 そんな時、外を歩かれている方がつい目に入ることがあり、さらには目が合ってしまうこともあります。なかには、外からこちらに向かって参拝される方もいます。

 こちらとしては、「今朝もウォーキングをなさっているのですね。ありがたいことです。おはようございます。どうぞきょうも一日お元気で。」という気持ちで、会釈をさせていただきます。座ったままで。

 そうすると、なんとなく、通りかかる方も好意的に受け止めて下さっているような表情になっておられ、何だか少し気持ちが通じた感じを受けます。

 ふと、通りかかる方は、外から中にいる私をご覧になって、どのようにお感じなのだろう?と思ったりします。

 「この人、何でじっと座っているんだろうか?」
 「何をしているんだろうか?」
 「ひまな人だなあ」・・・etc

 ここは「お結界」。神さまと人とがつながる結節点。人々の願いを神さまに届け、神さまの願いを人に伝える特別な場所。

 今となっては、こうした場があることが、どれほどの人たちの心の救いや助けになっていることか、実感が沸くのですが、20代前半までは、むしろ反対のことを考えていました。

 「座ってたって、何も始まらないじゃないか」
 「祈っても、具体的に社会がよい方向に変わるわけない」
 「より世の中の中心で、直接お役に立たなければ」

 そういう思いもあり、私は大学卒業後、社会人になることを願い、会社に就職しました。そして、たくさんの失敗をし、体験をし、世の中のお役に立てるであろう、事業を進めることができました。それはそれで、大変ありがたいことでした。

 しかし、今頂いているご用は違います。

 「誰かが座っているからこそ、安心を得られる」
 「祈りのない行動は、危うさを持ち合わせている」
 「グローバルに考え、ローカルに実行する」

 こんなふうに受け止め、座って祈ります。

 ですので、通りかかる方からどのように見られているのか、気になるところではありますが、こちらとしては、求められているかどうかに関わらず、また想いを感じ取っていただけるかどうかを問わず、ただひたすらに人々の身の上を願い、祈り続けています。

 果たしてお役に立てているのかどうか、まだ実感はありませんが、この働きが今の私の役目。取次者。引き続き心を磨き、いっそう座りとおしてまいりたいです。
広前
 写真は、朝5時過ぎごろ、「お結界」から玄関、外を見た角度です。
こころの宮/金光教乙島教会には、「お結界」が西と東の二箇所あります。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 

 

2014年06月20日

置いて帰りましょう。

カテゴリ:人間関係取次者の目線子育て・教育・学業

お結界に座らせていただくと、参拝者の「心の鬼」が見えてきます。

 先日、ある男性の方から、奥様と息子さんとの間で起こったトラブルについて相談のお届けがありました。

 その日、奥様の運転する車に息子さんが乗って移動中に、車内で口論になり、腹を立てた奥様が、息子さんを途中で下車させ、放置して帰ってきてしまったのです。

 幸い、ご主人が息子さんのもとに駆けつけ、特に怪我や過ちは無かったのですが、それ以来、奥様と息子さんがお互いに立腹したままで、会話が無くなってしまったそうです。

 ご主人としては、息子さんが無事に戻ってこれたので、「大難を小難におまつり変えくださり、ありがとうございます」とお礼のお届けをされたのですが、続けて「妻が取った行動は、親としてはしてはいけないこと。改まってくれますように。」ともお届けされました。

 ご事情を伺っていますと、奥様にも、息子さんにもそれぞれ非があるようですが、たしかにご主人のおっしゃるとおり、奥様が取られた行動は、親としてあるまじき姿だったと感じました。

 
 続けて、ご主人が「しかし、途中で降ろしてよかったかもしれません。そこでいったんお互いに冷静になれたはずで、それ以上一緒にいたら、もっと大変なことになっていたかもしれません。神さまが良いようにしてくださったのだと思います。」とおっしゃいました。

 私のそのとおりだと思い、「そうですね。それ以上一緒にいて、たとえば息子さんが奥様に殴りかかったりでもしたら、取り返しのつかないことになっていました。親子で傷付けあったり、殺しあったりすることもあります。そうならずに済み、ありがたいことです。」と申しました。

 一方で、ご主人としては、奥様が取られた行動に対して、許せない思いが残っており、冷静に話ができる心境ではない様子です。奥様の改心を強い口調で願ってお届けされました。

 私はお結界に座らせていただきながら、「このままではいけない」と感じました。

 そこで、ご主人に「奥様の心は“鬼の心”に支配されています。今のままでは、息子さんとの間で、同じことを繰り返してしまいます。ですから、ご主人が奥様の抱えておられる思いを、しっかり聴かせていただいて、その“鬼の心”を引き取ってほしいのです。」と申しました。

 そうしますと、ご主人の表情がこわばって、奥様の行動への批判をされました。

 やはり、「このままではいけない」と思い、このように申しました。

 「奥様の“鬼の心”に引き込まれて、ご自身も“鬼の心”になってはいませんか?
奥様の行動は間違っているかもしれません。

 しかし、たとえご主人が正しくても、ご主人が“鬼の心”のままでは、本末転倒です。
 ですから、今ここに“鬼の心”は置いて帰りましょう。

 そして、お家では奥様のお話を聴かせていただき、たとえ許せないことを言われても、それを“金光さま”と懸命に祈って、心の鬼を引き取っていただきましょう。

 そうすれば、奥様の心にも神様の心がすうっと入ってて、和賀心になりますよ。」

 その後、奥様と息子さんとの間では会話が回復したそうです。

 このように、お結界に座らせていただくと、参拝者の「心の鬼」に気付くことができ、当事者同士では“鬼の心”に支配され、問題が解決しないどころか、さらに大きくなる可能性があるところを、お結界で引き取らせていただいて、鬼がいなくなったところに神様の心が入ってきて、和賀心になれるのです。

 取次者としては、そこに重点を置いてお話を伺い、神様の心をお伝え申し上げております。
 
 
紫陽花広前
 写真は、教会の広前にお供えしている紫陽花です。いろんな種類がありますね。
お花を眺めると、心の鬼もどこかへ行ってしまう気がします♪

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。