2014年06月12日

良い面が見えてくる

カテゴリ:人間関係取次者の目線子育て・教育・学業

「お結界」に座らせていただくと、取次者が受け付けた悩み事の中にも、良い面が見えてきます。

 昨日、或るお父さんと息子さんの親子が参拝され、不登校になった悩みについて相談がありました。

 この春、小学校を卒業して中学校に入学したのですが、友だちとの関係がこじれてしまい、学校に居場所がなくなってしまったのです。

 (政府でも、“中一ギャップ”という問題が、議論されているようですね。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140611/k10015150161000.html 
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1103W_R10C14A6EA2000/ )
 
 
 

 ご本人は照れくさそうに、眠たそうに何度も目をこすっていて、隣に座っているお父さんが代わりに事情を語ってくれました。

 部活の同級生からいじめにあって、お腹を殴られ、吐いてしばらく痛かったことと、また、運動会で二人三脚をした相手から、「おめえのせいで、駄目じゃった」と、直前まで仲良くしていたのに、結果が出ないと急変して、罵倒され突き放されたショックなどが重なって、学校には行きたくなくなった、とのことでした。

 小学校のときも、部活などで勝敗に関わって同様のことはあったのですが、中学校に入ると、周りの友だちの様子が今までと変わり、恐くなってしまったようです。

 これで何日も休んでおり、お父さんとしては心配で、教会に連れてきたのです。なんとか学校に行かせたい、という思いが伝わってきました。

 息子さんの方は、モジモジしている様子でしたが、お父さんの語る内容に、ちょこちょこ訂正を入れながら、ツッコミを入れたりして、少しずつ笑顔も出てきました。

 私は、お結界に座らせていただいて、しばらくお二人の話を聴かせていただき、ジイッとご祈念させていただいておりましたら、その合間に父がその男の子を呼んで、「拳法を教えてあげよう!」と幾つかの護身術を伝授しました。

 そして、落ち着いたところで、私は或ることを感じたので、それを息子さんにお伝えしました。(以下、そのやり取り。表現は簡略。)

 「でも、○○君は、お友だちをいじめたり、殴ったりはしてないんじゃろう?」
 「うん。それはせん。」(男の子)
 
 「そう。それでええんよ。それで安心したわ。これからもそうしてね。」
 
 「うん。」(男の子)
 「それから、そのいじめる子や、人のせいにした子のことが不憫に思うんよ。
 
 
 
  殴ってくるのは拳法で身を守って、悪く言うのは言わせておきゃいいんよ。
  その子たちは、そうでもしないとスッキリしない状況に追い込まれている。
  だから、その子たちの心が助かるように、毎日ご祈念しようね。」
 
 
 「・・・わかるけど、なかなか出来んわ・・・」(男の子)

 つまり、この男の子は優しい心を持っていて、他の子をいじめたりすることは無いわけで、そのこと自体が誇れることであり、尊いことだと感じたので、その良いところを損なうことは無いようにしてほしい、また、いじめたり悪口を言ってくる相手の心も助かってほしいので、そう祈るようお願いしたのです。
 

 こうしたやり取りを続けていると、表情が笑顔になったり、曇ったりを繰り返し、最後には、「学校に行かないときは、教会に来る。そして、心の修行をする。拳法も。」と約束してくれました。

 このように、お結界では、取次者は悩み相談や願い事の祈願を受け付けておりますが、同時に「神さまはどのようにご覧になっているか?」という目線に立ち、それまでは当事者では見えなかった良い面が見えてきます。

 取次者の目線、見えてくるもの、今後ともご紹介してまいりたいと存じます。
 トンボ
 金光教本部の境内で見つけたトンボです。中学生の頃も追いかけてました(笑) 
トンボの眼鏡は水色メガネ、その目線でどんな世界が見えるのでしょう・・・

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。












2014年06月11日

履物をそろえると・・・

カテゴリ:子育て・教育・学業心磨き

履物をそろえることで、心が整って、その心は次の行動を整えてくれるようです。

 一昨日、車のお掃除をしていましたら、近所の子どもが駆け寄ってきて、「ねえ、先生、お祈りしてもいい?」「した方がいいかなあ?」と無邪気に尋ねてきました。

 「うん、お祈りしていいよ。したらええがあ」と答えると、そそくさと玄関に入って、教会に上がりました。

 ちょうど父がお結界に座っていて、玄関まで出てきて、”あること”を確かめました。

 それは、“靴がそろえられているかどうか”です。

 いつも子どもたちは、バタバタと教会に駆け込んできて、気ままに楽器で遊んだり、マイクで面白おかしいことを話したり、友だちの持ち物を隠したり、まあ、こちらの言うことは全然聞かず、好き勝手にはしゃぎます。

 そんな時、父が必ず注意することがあります。

 「先ず履物をそろえなさい!」

 このことには徹底してこだわって厳しく注意します。履物をそろえないと、遊ばせてあげないのです。

 この時も、履物がそろっていなかったので、その男の子は「あ、忘れてた」と、素直に靴をそろえなおし、教会にもう一度上がって、お祈りを始めました。

 そして、子どもたちとのお決まりがもう一つあります。それは、次のようなお祈りを一緒にすることです。

 病気をしませんように。
 交通事故にあいませんように。
 先生やお父さんお母さんの言うことがよく聞けますように。
 お勉強がよくできますように。
 みんな仲良く遊べますように。
 いじめたりいじめられたりしませんように。
 お役に立つ人にならせていただけますように。
 金光さま、お願いします。

 続いて、ご霊前ではご先祖様にお礼を申し上げ、
 「万事おかげになる(初代の遺言)」と4回唱和します。

 
 その後、子どもたちのお目当てである「お水(サーバーを設置しています)」を飲むか、「飴ちゃん」を頂くか、父か私と「拳法(少林寺拳法)」の練習をします。

 
 こういうことを繰り返していくうちに、最初はお目当ての為に、仕方なく靴をそろえたり、お祈りをしていた子どもが、「お祈りをしてもいい?」と言うようになってきました。

 何かしら悩んでいたり、感じていることがあって、お祈りをすることで、心の中を整理したり、落ち着かせたりして、また友だちと遊びに出かけているのでしょうか。

 ふと思い出したのですが、会社員のとき、あるお客さまから、「商談相手の靴を見ると、その方が信頼できるかどうか、わかりますよ」と教えていただきました。

 靴がきれいに磨かれている方は、仕事もきちんとこなすことができ、取引先として信用できる、という一種のパラメーターになるのだそうです。

 たしかに、私自身、仕事に追われて自分を見失っていた時は、靴のことには気が回らず、仕事も人間関係も、すべてが悪循環に陥っていました。
 

 履物をそろえることは、一見どうでもよいこと、後回しにしてもよいことのように思えますが、そこを大切にすることで、心が整い、ゆとりができ、次の行動を整えてくれる。

 それは「お礼を申す」という大事なことを見失わない生活になり、物事の順番が狂わず、人間関係をも円滑にする元になるのでしょう。

 みなさんは、どのように心を整えていますか?
こども参拝
 写真は、その時の子どもさんがお祈りをしている様子です。けなげで、素直で可愛くてしかたないです。父にならって、履物をそろえる指導を徹底したいと思います。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。