2014年06月08日

初心に帰る日

カテゴリ:心磨き

みなさんにとって、初心に立ち帰る特別な日はありますか?

 きょうは、金光教本部で教団独立記念祭が仕えられます。
明治33年(1900年)に、一つの宗教・教団として公認され、そこに命をかけて尽力なさった先人たちの志を受け継ぎ、世の為に今後のさらなる展開を祈願する祭典です。

 ちょうど3年前のこの祭典において、私は金光教教師としての任命を頂きました。

 その時は、緊張と期待と不安とが入り混じって、ドキドキしたままで、あまり記憶に残っていないのですが、11ヶ月間、同期と一緒に修行をして、ようやくそこに至ったこと、また祖父の願いを実現する第一歩を踏み出したことの感激がありました。

 しかし、正直なところ、3年経ってみるとその感激は薄れ、今の立場がごくふつうのことのようになっている自分がいます。

 また、ご用にお使いいただいているおかげで、「ありがたい」と感じることは日に日に増えていますが、人さまに「ありがたい」と思われ、人のお役に立てている、というあり方には程遠いです・・・

 きょうの祭典への参拝をとおして、金光様が「お世話になるすべてに礼を言う心を大切に」と教えてくださったそのお言葉を頂きなおし、初心に立ち帰り、3年前の想いを心の中で反芻する一日にさせていただきたいと願っています。

 独立記念祭早朝参拝
 写真は、けさ3時45分頃の金光教本部境内の様子です。

 金光様は、毎朝この時間にお出ましになり、世界の平和と人々の助かりをご祈念してくださっています。(御五代、155年にわたって継承されています)

 ありがたいことに、参拝されている方々と一緒に、提灯でその御足元を照らして、お姿を拝し、これまでの御礼を申し上げることができました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 

 

2014年06月07日

他者の目でも見ていますか?

カテゴリ:心磨き

心磨きの際、他者の目線を取り入れると、新たな発見があろうかと存じます。

 昨日、いつものように父と一緒に、金光教本部へ夕方のお礼参拝をさせていただきました。

 車を駐車場に止めて、境内につながる階段を上がり、毎日参拝されている或るご婦人とごあいさつを交わした際、「いいですねえ。いつも親子で・・・」と声をかけていただきました。

 思いがけないお言葉にありがたく、お礼を申しまして、同時に気付かされました。
「ああ、毎日こうして父と参拝しているが、それが当たり前のことになっていたな」と。

 時には、参拝の道中で父と言い合いになることもありますし、決して気持ちの良いことばかりではありませんが、そのご婦人のお言葉のおかげで、他者から見れば、当たり前のことではなく、ありがたいことであり、それは、私にとってもそうである、と認識させていただきました。

 その帰りの道中、東の空に虹がかかっているのが見えました。思わず土手沿いで車を止めて、スマートフォンで撮影しました。

 
 その時、土手の下を小学生の子どもたちが通りかかり、こちらにあいさつをしてくれました。私も「こんにちは。」と返したところ、「おじさん、何やってるの?」と問いかけてきました。

 私が撮影している様子が気になったのでしょう。「でも、おじさんは無いじゃろ!おにいさんよ!」と思いながら苦笑いして、「虹が見えるよ~。あっち!」と虹の存在を教えてあげました。

 子どもたちの目線では気付けなかった様子でしたが、少し土手を上がると見えたようで、「あ、ほんまじゃ!」「あ。あった、あった!」と喜んでくれて、今度は、他の友達にも呼びかけて、「虹が出とるよ~。あの“おじさん”が教えてくれた」。

 「また、“おじさん”って言われた・・・でも、子どもたちから見れば、私は立派なおじさんか。」と、認めている自分がいました(笑)

 そして、「バイバイ」とお互いにあいさつして、「ありがとう」、「おじさん、ありがとう~!」と
また、“おじさん”と言われ(涙)・・・車に乗って、そこを後にしました。

 この時私は、子どもたちから見られたら、立派な“おじさん”である、ということに気付かせていただきました。(自分の中では、まだ二十歳なのですが。)

 しかし、それをちゃんと自覚しないといけないですよね。

 こんなふうに、自分のことは見えているようで、見えていないことがたくさんあるのだと思います。当たり前だと思っていたことが、実はありがたかったり、未だ若いと思っていても、年老いて見られたり、探せばもっとたくさんあるはずです。
 

 他者の目線、素直に受け入れて、大切にさせていただきたいですね。

 さらには、父が教えてくれたこととして、金光教の教祖様は、いつも物事を「神さま」の目線で見ておられたそうです。

 そうして、他者からの何気ない発言や目線、出来事だけでなく、数々の苦難をも、神さまからの差し向け=試練として受けておられ、苦難を乗り越え、生神様と称えられ、たくさんの人を助ける働きをなさったのです。

 私たちも、目の前の課題、辛いこと、苦しいことを、神さまの目線で見ていくことで、試練であり、先につながる契機となること、と受け止められるよう、心を磨き続けたいものです。
虹2
 写真は、その虹です。
神さまは、私と子どもたちの会話を、どうご覧になっていたのでしょうか・・・

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 

2014年06月06日

寝る前にすることは何ですか?

カテゴリ:人間関係心磨き病気・健康・美容

みなさんは、寝る前にどんなことをして休まれますか?

 入浴、歯磨き、水分補給、マッサージ・・・いろいろあろうかと存じます。

 ちなみに私は、歯磨きを行い、少々お茶を頂き、部屋でご祈念をし、ストレッチをして、アプリで少し英単語の勉強をして、横になります。

 そして、もう一つ、体を横にしてお布団をかぶってからすることがあります。

 それは、目をつむって「今に至るお礼をする」ことです。

 お布団があることがありがたい→このお部屋、建物があるのは、祖父・初代がご苦労くださってのこと、ありがたい→生まれてから今に至るまで、家族や友人、学校の先生、職場で上司、先輩、同僚、部下のお世話になり、ありがたい→金光教学院でお世話になった先生や同期生、ありがたい→・・・

 と、その日によって浮かんでくる映像は違いますが、人を思い出したり、出来事を思い出したり、場所、食べたもの、苦い経験、失敗して恥ずかしかったこと、など、自由に想像していくと、ジワジワと込み上げてくるものがあり、「ありがとうございます。おかげさまで、今の自分があります。ありがとうございます。」と申します。

 気付いたら、眠りの世界に落ちています(笑)

 
 ありがたいことに、熟睡できますし、その日の最後を嫌な心で終わらないようにすることができます。

 もちろん、毎日そうできるとは限りません。落ち込んだり、後悔したり、不平不足があったり、先のことが不安だったりすると、そのことで頭の中が支配され、動悸も激しくなり、スッキリしないまま休むこともあります。

 しかし、続けていると、数日後には「ありがとうございます」と言えるのです。

 これからも、一日を「ありがとうございます」で終えたいものです。
あじさい
 写真は、昨日お供えのあったアジサイです。今の季節、さまざまな種類があって楽しめますね。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年06月03日

お掃除が心をつなぐ?

カテゴリ:心磨き改心

みなさんは、毎日お掃除をされていますか?

 正直に申しまして、私はお掃除が苦手です。すぐに散らかしてしまいますし、整理整頓がなかなかできません。さらにお恥ずかしい話ですが、金光教学院で修行させていただくまでは、丁寧に心を込めて掃除をする、とう経験が殆どありませんでした。

 一人暮らしを16年経験しましたが、特に社会人の頃は、部屋に足の踏み場も無い状態でした・・・

 ありがたいことに、修行のおかげで、掃除をする習慣が身に付いたのですが、それでも、気を緩めるとついサボってしまう自分がいます。

 そうした自分を戒める為にも、毎日の課業の一つとして、教会の車のお掃除を毎日させていただいております。

 黒い車で汚れが目立つということもありますが、ことし買い求めることができたことが、当たり前ではないことを忘れない為にも、取り組んでいます。

 夕方の金光教本部へのお礼参拝を終えて戻ると、ハンドタイプの掃除機を使って、車内の塵や埃を吸い取り、雑巾を使って、車の天井からホイールに至るまで、できるだけ丁寧に汚れをふき取っています。

 きのうのこと、私が車の掃除の最中、教会の中の様子を見ると、しばらくお取次を頂いていた方がいて、その参拝者のお車の汚れがつい目に入ってきました。

 「ああ、この方はいつもお仕事が忙しく、しかもヘトヘトになるまで頑張っておられる。洗車をする時間も無いんだろうなあ。そうか、ついでにお掃除させていただこう!」、と思いつきまして、ご本人の許可無く(笑)、拭かせていただきました。

 ちょうど一通り終えた頃に、その方が教会を出て来られ、開口一番に「まあ、もったいないことです。ありがとうございます。」と声高に喜んでくださいました。

 しかも、直前にご友人から頂いたであろうお菓子を、私にくださいました。何度もお断りをしたのですが、それでもくださろうとしたので、ご好意としてありがたく頂きました。

 お互いに笑顔になり、「お疲れ様でした」と申し、車をお見送りさせていただきました。

 ふと、思い出したことは、初代・祖父にとって、初めての参拝者は借家の家主さんのご主人でして、なぜ参拝をされたのか、初代は次のように遺しています。

 ・・・私は、この借りた家を、毎日お掃除をしました。親教会でくせになっとりましたから、お掃除するたびに便所でも毎日お掃除しました。

 それをその借家のおばあさんが見ていて、そのおじいさんに、「岩本さんは、毎日、本部に日参しよる。朝晩に拝んどりなさって、便所掃除を毎日なさって、あの四軒長屋の縁側が光るようになっとる」と言われた。

 それを聞いて、そのご主人が「裏から失礼します」と言うて入って来て、「あなた、先生ではございませんか」と言われる。

 「先生の資格はありますけれど、私は徳がないので、胃下垂になり静養にきとります」とお答えした。「そうですか、ちょっとお待ちください」と言って裏から出ましてね、十分とたたないうちに、今度は羽織を着て表から入ってきた・・・中略

 ・・・「そうですか、金光では、なんでもお礼を申しますからね。お便所にもお礼を言うつもりでお掃除をしております」と言いましたら、「ああ、そんならそういう話をしてください。私はこのところの町内会長をしとりまして、副会長は二人おりますが、明日から連れてきますから」と言うて、翌日から人を連れて来られるようになった・・・
 

 このように、初代にとって、またこの教会にとって、初めての参拝者のきっかけとなったのは、お掃除でもあったんですね。

 面倒なことであり、後回しにしがちなお掃除。心を込めてさせていただきたいものです。また、忙しい毎日、容易にはいきませんが、そういう時間と心のゆとりを持ち続けたいですね。

お菓子

 写真は、そのお菓子です。ご霊前にお供えさせていただきました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年06月02日

パワースポットはどこですか?

カテゴリ:心磨き

みなさんにとって、心温まる特別な場所、元気になれる場所はどこですか?

 昨日のこと、祖父がずっと大事にしていた、親教会への月毎のお礼参拝をさせていただきました。

 大阪の天王寺にある、金光教天王寺教会です。

 祖父が若かりし頃、参拝して教えを頂くことで、心を助けていただいた教会で、そのご恩を忘れないよう、また月々のお礼のお届けをさせていただいております。

 きのうは非常に暑い日で、地下鉄で移動して地上に出た瞬間、体中がだるくなるような感覚がして、日差しが強く、汗がどんどん出てきました。

 教会に入ると、中は涼しく、心落ち着けて神さまに手を合わせて、心の中で5月中のことを色々とお礼を申すことができました。

 既に、何人かの方がじいっと静かにお祈りをされており、そのお背中を拝していますと、自ずと有難い思いにならせていただきました。

 「ああ、この方々もこうしてじっくりと心落ち着けて、神さまに心を向けてお礼をなさったり、お願いをしていらっしゃるんだろうなあ。
 それが出来る場所、働きがずっと、祖父の頃からも(その以前からも)今に至るまで続いているんだなあ」と思えたからです。

 そして、その方々の参拝が終わる頃、私も続いて「お結界」と呼ばれる、神様への相談や願い事、お礼などのお届けができる場所に進み、取次者であられる教会長先生に5月中の御礼などを申し上げました。

 ちょうどお昼の時間でもありましたので、お邪魔になってはいけないと、失礼しようとしましたが、先生がお引止めくださいまして、アイスコーヒーをご馳走してくださいました。

 乾いたのどを潤してくれて、グイグイと頂きました♪

 その最中、先生が昔のことをお話してくださったりして、私が知らない時代のことなど、教えていただきました。もったいないことです。

 そうして、教会を後にして、あべのハルカスを仰ぎ見ながら駅に進み、昼食を頂いて戻ることができました。

 新幹線の車中、なぜだかスッキリとした晴れやかな心にならせていただき、元気になりました。

 祈りをなさっている方のお背中を拝し、お礼のお届けをし、コーヒーを頂き、先生から昔の話を伺えたこともありますが、教会という場所がそういう働きを持っているのでしょう。

 私にとってのかけがえのない、パワースポットなのだと気付かせていただきました。これからも、祖父をお手本にお礼参拝を大切にいたします。

 みなさんも、パワースポットを大切にできたらいいですね。

こたんラーメン
 写真は、あべちかにある古潭ラーメンです。
コラーゲンたっぷりで、これも元気の源。
あべのハルカス
 そして、あべのハルカス。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。 岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。