2014年05月30日

朝一番、誰とあいさつしますか?

カテゴリ:心磨き

「おはようございます」のあいさつ、気持ちいいものですよね。
みなさんは、毎日誰に対してなさっていますか?

 私は、先ずは神さまと御霊さまにごあいさつ申し上げます。次に、父や母、参拝される方に申し上げ、早朝3時40分過ぎには、金光教本部にて金光様を拝して心の中でごあいさつさせていただきます。

 実は、それだけではなくて、金光教本部に参ると駐車場にいる猫ちゃんにもあいさつします。しかも、ノラ猫でして、誰かが餌をあげているのか、野生のものを食べているのかは分かりませんが、親子兄弟で何匹かいます。

 私は餌をあげるわけでもなく、これまで早朝に会うたびに、「にゃー。おはよ。にゃー。おはよ。」と2、3回猫語?と日本語を繰り返して、こちらからあいさつをしてきました。

 最初のうちは、恐々としていたり、餌をくれる人と勘違いしてか、近寄ってきたりを繰り返していたのですが、ことしの春くらいからは、金光様への参拝が終わって帰ろうとすると、そのうちのマダラ模様の子猫と親の白猫が、境内の階段の下の辺りで待っていてくれて、「ニャー」とあいさつしてくれます。

 なので、私も「にゃー。おはよ。にゃー。おはよ。」とあいさつを返すのです。

 今朝にいたっては、乙島から車でその駐車場に着くと、子猫がお出迎えしてくれるかのように待っていてくれて、「ニャー」とあいさつしてくれました。

 正直に申しまして、毎朝私の心の中が安定しているわけではなく、時には落ち込んでいてため息をつく時や、前向きになれない時があるのですが、それでも猫ちゃんに会って「にゃー」とあいさつすると、心が明るくなりますし、腹が立つことがあってイライラしている時も、朝一番に「にゃー」とあいさつしたとたんに、穏やかな心になれますし、不思議なものだなあ、と思っています。

 他にも、この季節ですと、3時ごろからホトトギスが「キョ キョ キョ キョ」と鳴き、教会に帰ってきて、4時半を過ぎると「ホー ホケキョ」と鶯が鳴きます。その泣き声に耳を傾けると、なんだか透き通ったものが心に響きますし、お日様やお月様を拝んだり、草花を目で見て楽しんだり、においを嗅いだりすると、心がすうっと晴れていきます。

 人と人とのつながりも大切ですが、天地自然の働き、生きとし生けるものを見て、聞いて、触れて、匂って、感じていくと、人とはまた違った何か心あたたまるものを頂くように思うのです。

 しかも、あいさつをし合うことができたら、さらに嬉しいですよね。

 あの子猫ちゃんとは心が通じているのか分かりませんし、猫ちゃんが何をいいたいのか、「おはよう」と言ってくれているのか、はたまた、「餌をちょうだーい」と言っているのか(笑)、分かりかねますが、こっちが「にゃー」とあいさつすると、「ニャー」と返してくれることは確かです。

 朝一番のあいさつを、身の回りのすべてに目を向けて、感じて、できたらいいですね。もちろん、人さまに対するあいさつは、いっそう心を込めてできたらいいですし、神さまや御霊さま、目に見えない働きにも心を向けて、ごあいさつできたらいいですね。

ゴーヤ③
 写真は、昨夕のゴーヤです。おかげさまで、日に日に大きく成長しています。水遣りをしてあいさつをするのも、またいいものです。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。 岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。         


 


2014年05月23日

石鹸がつないだものは・・・

カテゴリ:心磨き

親から受け継いだもの、心は何ですか?

 先日、20年前に父が金光教天王寺教会(乙島教会の親教会)の天地金乃神大祭でお話をした内容が綴られた冊子が見つかりました。

 そのお話の後半に、私が出てきていて、当時18歳だった私は受験生で、大学受験の為、生まれて初めて、県外で一人で二泊三日過ごす経験をした時のことが紹介されています。

 受験を終えて戻ってくると、たくさんの荷物の中に小さな石鹸があり、その石鹸は私が泊まった宿から「もったいない」と持ち帰ったのですが、そのことを父は有難く喜んでいる、という内容です。

 どういうことかと申しますと、父が幼い頃、石鹸が小さくなると新しい石鹸にくっつけて使っていた父親(=私の祖父)の姿を見ていて、それが自然と身についていたそうなのですが、そのことが、今後は私にも受け継がれていたことが分かったので、ありがたかった、というわけです。

 また、父は私が大学を目指して勉強することは結構なことだとしても、体を壊したり、人間性を損なうようなことがあってはいけない、と心配していて、その心配が吹き飛ぶ出来事でもあったようです。

 「もったいない」という心が、受け継がれているのを、予期せぬ形で確認できた瞬間であった、とうことでしょう。

 私自身もこのことを鮮明に覚えています。

 残念ながら、受験した大学には合格することができず、人生初の大きなチャレンジが失敗に終わり、挫折を味わい、落ち込んでいたのですが、父がそうして喜んでくれていたことが、私の心の救いになっていたからだと思います。

 父親から知らないうちに受け継ぎ、身についていた「もったいない」という心が、それを喜ぶ父によって、私自身の心が助けられる、ということに至ったのです。

 写真は、その見つかった冊子をカメラで撮影したものです。
冊子(2)

 親様から受け継いだもの、頂いたもの、その心。次の世代にも引き継げたらいいですね。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

2014年05月22日

継続と鮮度

カテゴリ:心磨き

みなさんは、毎日続けていることはありますか?
また、それを毎回新鮮な心でできていますか?

 
 おかげさまで、こうしてブログを書くことを続けて、ちょうど一週間が過ぎました。しかし、きょうはいろいろと重なり、この時間に及んでしまいました。(現在21時20分)

 日中、ようやく空いた時間ができて、「ブログを書くぞ~!」と気合を入れていたのですが、その矢先に母から「銀行に行ってきてくれる?」とお遣いを頼まれました。

 つい、「明日じゃ駄目?」と言ってしまったのですが、その直後に神さまにご祈念させていただき、少しの間葛藤を続け、「これも神さまのお計らいだから、受けさせていただこう」と、銀行に向かうことにしました。

 幸い、買いたい物(歯間ブラシ)もあったし、「ついでに買い物もできて一石二鳥だ」と、気分を切り替えることができました。(更には、こうしてブログのネタにもできているので、三鳥です。)

 銀行に到着し、なんなく手続きを進められたのですが、いよいよ最後の確認、という時に、行員さんから「すみません。印鑑が違うのですが・・・」と呼び出しがあり、愕然として。。。母を責めたい気持ちを抑えて確認し、結局、もう一度往来して手続きをやり直すことになりました。

 この間、これで腹を立ててはいけない、これもありがたく受け止めさせていただかねば、と言い聞かせつつ、なんとか、母を責めることなく、正しい印鑑を受け取って、銀行に向かい、書面をもう一度最初から「丁寧に」書き直して、再度手続きを終え、お遣いと買い物を済ませることができました。

 しかし、残念ながらブログの更新はできないままとなってしまいました・・・

 こうして、今に至るわけですが、きょうは、一つのことを毎日続けることは決して簡単なことではない、ということを改めて思い知らされる一日でした。

 それなりに準備を整えたり、計画を立てていたとしても、予期せぬ依頼や邪魔が入るものですね。

 更には、たとえ毎日続けることができたとしても、毎回新鮮な気持ちで、新たな心で取り組むことも、簡単なことではないことにも気付きました。

 最近、体力維持を目的に、毎晩ストレッチ運動と軽い筋トレをしているのですが、昨日は疲れもあってか、すっかりやる気がうせてしまい、一呼吸おいて、気持ちを入れなおしてようやく取り組めた次第で、いつもより時間がかかりました。

 物事を始めた時の思い、毎日頂いている命、時間を大切に、新たな心で生き生きとのぞめたらいいですね。

パスタ_

 写真は、きょう、母から(更に)頼まれて、久しぶりに作った夕食のパスタです。冷蔵庫にあった食材を使ってトマトソースにし、季節の食材、ソラマメをトッピングしました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年05月20日

安心のもとは何ですか?

カテゴリ:お仕事人間関係心磨き恋愛・結婚病気・健康・美容神さまについて

みなさんにとって、心の拠り所は何ですか?或いは、安心材料は何ですか?

 大切な家族、友人、お仕事、技術、能力、知識、娯楽、財産、地位・・・いろいろとあろうかと存じます。しかし、「神さまです」とお答えになる方は少ないでしょう。

 私は、最近になって「神さまです」とハッキリ言えるようになりました。そして、それを広めたいと思っています。

 それまでは、「神さま」って、目に見えないし、聞こえないし、実感が沸かないし、本当に存在するのか怪しいし、神さまを信じたり頼ったりするのは、自分が弱いからだ、と思ったり、自分の力が負けたような気がして、どうもすんなりと受け入れられない自分がいました。

 ところが、自分自身が「心磨き」の修行を続け、また、参拝される方々のさまざまな悩みや不安をお伺いすることを重ねているうちに、「先が見えない不安」に打ち克って、「安心」を得るには、「神さま」以外ではおぼつかないことに気付きました。

 たとえば、自分が手術を受けるとします。家族や友人の支え、資金、医師の技術、薬などが万事万端整っていても、100%成功する保障には至らず、「本当に大丈夫だろうか?」「失敗しないだろうか?」「他にもっといい病院があるのでは?」といった不安や心配と闘うことになります。

 
 ところが、「神さま」が心の拠り所になっている人は、「神さまのおかげで、ここまで命を頂き、手術も万端に準備を整えられた。神さまのおかげで、ここまでに至ったのだから、この先のことも大丈夫!」と神さまを信頼して、腹をくくることができます。

 病気のことに限らず、恋愛関係、夫婦の間柄、親子の関係、取引先との関係など、人間関係の問題も同じことが言えます。

 私自身、交際相手との間で心配なことがあっても、「大丈夫!神さまがくださったご縁だから、この先のことも大丈夫!」と言い聞かせて安心を得て、相手を信じて、心穏やかに良好な関係を続けることができています。
柏餅_

 写真は、昨日、神さまへのお供え物のお下がりとして頂いた、柏餅です。お餅が柔らかく、するっと溶け込んでくるようなやさしい食感で、ほど良い甘味がふわっと広がり、感激しました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年05月19日

毎日磨いていますか?

カテゴリ:心磨き

先日、ギターの修理で岡山市内のある楽器店にまいりました。初めてのことで、少し緊張して店内に入りましたが、店員さんの対応が明るく親切な雰囲気で、すうっと入ることができました。

 状態を説明すると、直ぐに適切な対応をしてくださり、原因もわかり、早速修理してくださいました。その過程で、こちらはお願いしてもないのに、ギターの表面の汚れを次々と拭き取ってくださいました。

 汚れを落とすための専用の液体を用いて、何度も何度も丁寧に、隈なく拭いてくださいます。そのうちに、みるみる輝きを取り戻して、10年程前に買ったばかりの頃のようにピカピカになりました。

 一部、演奏時の体の熱によって、表面の塗装が溶けて、元通りにはならない箇所もあるそうですが、触ってツルツルになり、磨くことで、音も張りの有るいい音がでるそうです。また、ギターの汚れ具合を見るだけで、その人がどういうふうに使ってきたかが、ある程度わかるようでした。

 私は、その側でお話を伺いながら、作業の様子を見ていて、だんだんと自分が恥ずかしくなっていきました。これまで、長年このギターにお世話になっておきながら、たいしたケアもできず、この店員さんのように磨くことができていなかったことに気付かせていただき、疎かにしてきた自分が情けなく、申し訳ない思いになりました。

 おかげさまで、弦を張り替えたこともありますが、とっても心地よい音が響き、毎日弾くのが楽しみになるくらい、ワクワクした思いになりました。

 
 あわせて、私自身の「こころ」も、毎日磨くことが大切だなあ、とあらためて気付かせていただきました。私たちの心も、ギターと同様に毎日磨かないと、くもったり、汚れと申しますか、スッキリしないまま、不安や不満、イライラがたまってしまう、ということがあります。

 朝起きたら、目覚めたことに感謝して、新たな心で一日を始め、夜休む時には、その日のことを振り返って、感謝し、反省し、改善を願う・・・これを繰り返す「心磨き」を毎日続けることで、スッキリした晴れやかな心で、お仕事や勉強、家庭での務めにいっそう励むことができ、周りの方々にも気持ちの良い空気を発することができたらいいですよね。

 みなさんは、毎日心を磨いていますか?

 
 写真は、そのギターです。店員さんが今後の為のアドバイスや必要な道具について教えてくださったおかげで、心を入れ替えて、使う度に磨くようにしています。

ギター

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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