2014年06月04日

誰かの為に祈る時

カテゴリ:病気・健康・美容祈りについて

みなさんは、誰かの為に祈る時、どのようになさっていますか?

 昨日のこと、お昼の勢祈念・祈りの時間の際、ある方の手術の成功を願って、参拝されている方々と一緒に、しばらく声に出してご祈念をさせていただきました。

「生神金光大神 天地金乃神様、生神金光大神 天地金乃神様・・・」と何度も何度も、神さまのお名前を奉唱しました。

 その手術をされる方は、私にとって恩人でもある方で、神さまのお名前を唱えている間、これまでの色んな思い出が頭に浮かんできて、懐かしさやお世話になったご恩の思いが膨らんで、声が震えたり、出なくなったりすることもありましたが、「しっかりご祈念させていただかないと」と奮起して、しばらくの間、奉唱しました。

 この時、父が参拝されている皆さまに対して、祈りについて次のように教えてくれました。

 ・・・金光教祖様は、ご自身・家族の身の上のことや、参拝される方のことを神さまに祈る際に、天地書附にあるように「生神金光大神 天地金乃神様」と何度も何度も唱えて、ご祈念されておられました。

 私たちも、何か大事なこと、ここぞという祈りを込める時は、それにならってさせていただき、心の中で神さまが「よし」とおっしゃるまで奉唱を続けましょう。その時間は短かったり、長かったり、場合により一晩中かかることもありますが、それが一心に祈るということです。そうすれば、必ず神さまが良いようにおかげをくださいます・・・

 その方の手術後のご様子は未だわかりかねますし、果たして私たちの祈りがどこまで神さまに届いたのか、確かめる術はありませんが、こうした祈りによって、これまで数えきれないほどの方々が助けられて今日がある、ということは確かです。

 祈る時はこうしなければならない、というものではないと思いますし、他の方法や、より神さまに届く祈りもあろうかと存じます。

 何れにしましても、一心に祈る、誰かの為に真剣に祈る、という心と行為を日常の生活の中で取り入れることができたら、これまでと違う展開にであえると信じています。

ゴーヤ④
 写真は、教会の庭のゴーヤです。ついに、つぼみが付き始めました。
祈りながらの水遣り、引き続き楽しみです♪

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 
 







2014年05月20日

安心のもとは何ですか?

カテゴリ:お仕事人間関係心磨き恋愛・結婚病気・健康・美容神さまについて

みなさんにとって、心の拠り所は何ですか?或いは、安心材料は何ですか?

 大切な家族、友人、お仕事、技術、能力、知識、娯楽、財産、地位・・・いろいろとあろうかと存じます。しかし、「神さまです」とお答えになる方は少ないでしょう。

 私は、最近になって「神さまです」とハッキリ言えるようになりました。そして、それを広めたいと思っています。

 それまでは、「神さま」って、目に見えないし、聞こえないし、実感が沸かないし、本当に存在するのか怪しいし、神さまを信じたり頼ったりするのは、自分が弱いからだ、と思ったり、自分の力が負けたような気がして、どうもすんなりと受け入れられない自分がいました。

 ところが、自分自身が「心磨き」の修行を続け、また、参拝される方々のさまざまな悩みや不安をお伺いすることを重ねているうちに、「先が見えない不安」に打ち克って、「安心」を得るには、「神さま」以外ではおぼつかないことに気付きました。

 たとえば、自分が手術を受けるとします。家族や友人の支え、資金、医師の技術、薬などが万事万端整っていても、100%成功する保障には至らず、「本当に大丈夫だろうか?」「失敗しないだろうか?」「他にもっといい病院があるのでは?」といった不安や心配と闘うことになります。

 
 ところが、「神さま」が心の拠り所になっている人は、「神さまのおかげで、ここまで命を頂き、手術も万端に準備を整えられた。神さまのおかげで、ここまでに至ったのだから、この先のことも大丈夫!」と神さまを信頼して、腹をくくることができます。

 病気のことに限らず、恋愛関係、夫婦の間柄、親子の関係、取引先との関係など、人間関係の問題も同じことが言えます。

 私自身、交際相手との間で心配なことがあっても、「大丈夫!神さまがくださったご縁だから、この先のことも大丈夫!」と言い聞かせて安心を得て、相手を信じて、心穏やかに良好な関係を続けることができています。
柏餅_

 写真は、昨日、神さまへのお供え物のお下がりとして頂いた、柏餅です。お餅が柔らかく、するっと溶け込んでくるようなやさしい食感で、ほど良い甘味がふわっと広がり、感激しました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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2014年05月16日

素直にできたら・・・

カテゴリ:改心病気・健康・美容

「こころの宮」の神さまは、神の思いに沿わない人間を切り捨てるようなことはされません。むしろ、人間が天地の間に生かされて生きていることを忘れて、悩み苦しむ姿を憂いている神さまです。間違ったことや過ち、人の心を傷つけてしまったことなど、神さまに心を込めてお詫びをして、改まっていくことで、心新たに未来に進むことができます。

 初代・岩本寅雄師にとって、道が開かれた原点は、「反省すること」「心を改めること」でした。概要はこのサイトの「私たちについて」のページの「成り立ち」に掲載されているとおりですが、詳しくは次のように述懐しております。

 「…私は、胃下垂、胃下垂と言っていたけど、胃が悪いということは、こっちが間違えておる。私が立派な先生になろうと思うて、表行(わぎょう=荒行)をした。私の欲のために、表行をしたんだから、胃さま、胃さま、すみませんと、両手を合わせてお腹の方に向けて、私の体にお詫びを申しましたら、心がすっと落ち着きました。百日の願いを立てての金光教本部への参拝を始めて、ちょうど50日になりますから、金光様に『ちょうど日参をさせていただいて50日目になりまして、有難うございました』とお礼を申したら、金光様が『ハイハイ、結構でした。明日から家で拝んどきなさい』とおっしゃって、家で拝んでいる日に、初めての参拝者が現れたのです…」

 つまり、たとえ自分の体に対してであっても、反省をし、お詫びをする素直な姿勢を、神さまは喜ばれ、私たち人間の心も晴れやかになり、道が開かれるのです。

 私自身も、苦しいときに、毎日反省をしてお詫びを申すことしかできず、ひたすらに改まりを願い続けることで、なんとかその日その日を生きることができたので、実感があります(取次者の紹介、生い立ちを参照)。

 何事にも素直に反省して、お詫びをして、改まることは容易でないことかもしれませんが、生きるか死ぬか、後の無い切羽詰った状態では、意外とできるものです。と申しますか、自分のどこに問題があるのかを必死に探さざるを得ない、藁をもつかむ思いなのだと思います。

 それが常平生に、素直にできたら、家族や周りの方々との人間関係もよりスムーズになり、自分自身の心もすうっと晴れますよね。

 きょうも素直に反省できていますか?
ころちゃん(泣き)

 
 
 画像は、「こころの宮」のフェイスブックページhttps://www.facebook.com/nayamisoudan.kurashiki
のキャラクター「コロちゃん」です。コロちゃんも泣きながら反省しているようです。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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