2014年07月04日

座ってどうなるのか?

カテゴリ:取次者の目線心磨き祈りについて

毎朝、「お結界」に座っておりますと、外から見られた自分のことが気になります。

 朝3時に教会を出発し、金光さまのお出ましをお迎えした後、戻って、4時から参拝される方からの願い事を受け付け、5時半過ぎまでの約1時間半が、参拝者が無く、 静かにご祈念をさせていただく時間になっています。

 今の時期ですと、少しずつ空が明るくなってきて、5時を過ぎると外を通りかかる方の様子も見えてきます。鳥の鳴き声を聞きながら、時間の移り変わりと一日の始まりを感じつつ、落ち着けます。(時には、眠くて集中力を欠くこともありますが)

 この時間帯、それほど人通りはありませんが、健康の為にウォーキングをされているであろう方、歩いて通勤されいる方、知っている人、知らない人、バイクで新聞配達をされている方、車で移動されている方など、10数名の方が通られます。

 私は「お結界」に座らせていただいて、ご祈念帳に参拝者からの願い事を書いたり、私自身が教会のこと、信奉者のこと、これまでお世話になった人たち、世の人々のことなど、ご祈念させていただいていることを書いて、一人心の中で祈りを捧げています。

 そんな時、外を歩かれている方がつい目に入ることがあり、さらには目が合ってしまうこともあります。なかには、外からこちらに向かって参拝される方もいます。

 こちらとしては、「今朝もウォーキングをなさっているのですね。ありがたいことです。おはようございます。どうぞきょうも一日お元気で。」という気持ちで、会釈をさせていただきます。座ったままで。

 そうすると、なんとなく、通りかかる方も好意的に受け止めて下さっているような表情になっておられ、何だか少し気持ちが通じた感じを受けます。

 ふと、通りかかる方は、外から中にいる私をご覧になって、どのようにお感じなのだろう?と思ったりします。

 「この人、何でじっと座っているんだろうか?」
 「何をしているんだろうか?」
 「ひまな人だなあ」・・・etc

 ここは「お結界」。神さまと人とがつながる結節点。人々の願いを神さまに届け、神さまの願いを人に伝える特別な場所。

 今となっては、こうした場があることが、どれほどの人たちの心の救いや助けになっていることか、実感が沸くのですが、20代前半までは、むしろ反対のことを考えていました。

 「座ってたって、何も始まらないじゃないか」
 「祈っても、具体的に社会がよい方向に変わるわけない」
 「より世の中の中心で、直接お役に立たなければ」

 そういう思いもあり、私は大学卒業後、社会人になることを願い、会社に就職しました。そして、たくさんの失敗をし、体験をし、世の中のお役に立てるであろう、事業を進めることができました。それはそれで、大変ありがたいことでした。

 しかし、今頂いているご用は違います。

 「誰かが座っているからこそ、安心を得られる」
 「祈りのない行動は、危うさを持ち合わせている」
 「グローバルに考え、ローカルに実行する」

 こんなふうに受け止め、座って祈ります。

 ですので、通りかかる方からどのように見られているのか、気になるところではありますが、こちらとしては、求められているかどうかに関わらず、また想いを感じ取っていただけるかどうかを問わず、ただひたすらに人々の身の上を願い、祈り続けています。

 果たしてお役に立てているのかどうか、まだ実感はありませんが、この働きが今の私の役目。取次者。引き続き心を磨き、いっそう座りとおしてまいりたいです。
広前
 写真は、朝5時過ぎごろ、「お結界」から玄関、外を見た角度です。
こころの宮/金光教乙島教会には、「お結界」が西と東の二箇所あります。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 

 

2014年06月20日

置いて帰りましょう。

カテゴリ:人間関係取次者の目線子育て・教育・学業

お結界に座らせていただくと、参拝者の「心の鬼」が見えてきます。

 先日、ある男性の方から、奥様と息子さんとの間で起こったトラブルについて相談のお届けがありました。

 その日、奥様の運転する車に息子さんが乗って移動中に、車内で口論になり、腹を立てた奥様が、息子さんを途中で下車させ、放置して帰ってきてしまったのです。

 幸い、ご主人が息子さんのもとに駆けつけ、特に怪我や過ちは無かったのですが、それ以来、奥様と息子さんがお互いに立腹したままで、会話が無くなってしまったそうです。

 ご主人としては、息子さんが無事に戻ってこれたので、「大難を小難におまつり変えくださり、ありがとうございます」とお礼のお届けをされたのですが、続けて「妻が取った行動は、親としてはしてはいけないこと。改まってくれますように。」ともお届けされました。

 ご事情を伺っていますと、奥様にも、息子さんにもそれぞれ非があるようですが、たしかにご主人のおっしゃるとおり、奥様が取られた行動は、親としてあるまじき姿だったと感じました。

 
 続けて、ご主人が「しかし、途中で降ろしてよかったかもしれません。そこでいったんお互いに冷静になれたはずで、それ以上一緒にいたら、もっと大変なことになっていたかもしれません。神さまが良いようにしてくださったのだと思います。」とおっしゃいました。

 私のそのとおりだと思い、「そうですね。それ以上一緒にいて、たとえば息子さんが奥様に殴りかかったりでもしたら、取り返しのつかないことになっていました。親子で傷付けあったり、殺しあったりすることもあります。そうならずに済み、ありがたいことです。」と申しました。

 一方で、ご主人としては、奥様が取られた行動に対して、許せない思いが残っており、冷静に話ができる心境ではない様子です。奥様の改心を強い口調で願ってお届けされました。

 私はお結界に座らせていただきながら、「このままではいけない」と感じました。

 そこで、ご主人に「奥様の心は“鬼の心”に支配されています。今のままでは、息子さんとの間で、同じことを繰り返してしまいます。ですから、ご主人が奥様の抱えておられる思いを、しっかり聴かせていただいて、その“鬼の心”を引き取ってほしいのです。」と申しました。

 そうしますと、ご主人の表情がこわばって、奥様の行動への批判をされました。

 やはり、「このままではいけない」と思い、このように申しました。

 「奥様の“鬼の心”に引き込まれて、ご自身も“鬼の心”になってはいませんか?
奥様の行動は間違っているかもしれません。

 しかし、たとえご主人が正しくても、ご主人が“鬼の心”のままでは、本末転倒です。
 ですから、今ここに“鬼の心”は置いて帰りましょう。

 そして、お家では奥様のお話を聴かせていただき、たとえ許せないことを言われても、それを“金光さま”と懸命に祈って、心の鬼を引き取っていただきましょう。

 そうすれば、奥様の心にも神様の心がすうっと入ってて、和賀心になりますよ。」

 その後、奥様と息子さんとの間では会話が回復したそうです。

 このように、お結界に座らせていただくと、参拝者の「心の鬼」に気付くことができ、当事者同士では“鬼の心”に支配され、問題が解決しないどころか、さらに大きくなる可能性があるところを、お結界で引き取らせていただいて、鬼がいなくなったところに神様の心が入ってきて、和賀心になれるのです。

 取次者としては、そこに重点を置いてお話を伺い、神様の心をお伝え申し上げております。
 
 
紫陽花広前
 写真は、教会の広前にお供えしている紫陽花です。いろんな種類がありますね。
お花を眺めると、心の鬼もどこかへ行ってしまう気がします♪

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 


 

 


2014年06月12日

良い面が見えてくる

カテゴリ:人間関係取次者の目線子育て・教育・学業

「お結界」に座らせていただくと、取次者が受け付けた悩み事の中にも、良い面が見えてきます。

 昨日、或るお父さんと息子さんの親子が参拝され、不登校になった悩みについて相談がありました。

 この春、小学校を卒業して中学校に入学したのですが、友だちとの関係がこじれてしまい、学校に居場所がなくなってしまったのです。

 (政府でも、“中一ギャップ”という問題が、議論されているようですね。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140611/k10015150161000.html 
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1103W_R10C14A6EA2000/ )
 
 
 

 ご本人は照れくさそうに、眠たそうに何度も目をこすっていて、隣に座っているお父さんが代わりに事情を語ってくれました。

 部活の同級生からいじめにあって、お腹を殴られ、吐いてしばらく痛かったことと、また、運動会で二人三脚をした相手から、「おめえのせいで、駄目じゃった」と、直前まで仲良くしていたのに、結果が出ないと急変して、罵倒され突き放されたショックなどが重なって、学校には行きたくなくなった、とのことでした。

 小学校のときも、部活などで勝敗に関わって同様のことはあったのですが、中学校に入ると、周りの友だちの様子が今までと変わり、恐くなってしまったようです。

 これで何日も休んでおり、お父さんとしては心配で、教会に連れてきたのです。なんとか学校に行かせたい、という思いが伝わってきました。

 息子さんの方は、モジモジしている様子でしたが、お父さんの語る内容に、ちょこちょこ訂正を入れながら、ツッコミを入れたりして、少しずつ笑顔も出てきました。

 私は、お結界に座らせていただいて、しばらくお二人の話を聴かせていただき、ジイッとご祈念させていただいておりましたら、その合間に父がその男の子を呼んで、「拳法を教えてあげよう!」と幾つかの護身術を伝授しました。

 そして、落ち着いたところで、私は或ることを感じたので、それを息子さんにお伝えしました。(以下、そのやり取り。表現は簡略。)

 「でも、○○君は、お友だちをいじめたり、殴ったりはしてないんじゃろう?」
 「うん。それはせん。」(男の子)
 
 「そう。それでええんよ。それで安心したわ。これからもそうしてね。」
 
 「うん。」(男の子)
 「それから、そのいじめる子や、人のせいにした子のことが不憫に思うんよ。
 
 
 
  殴ってくるのは拳法で身を守って、悪く言うのは言わせておきゃいいんよ。
  その子たちは、そうでもしないとスッキリしない状況に追い込まれている。
  だから、その子たちの心が助かるように、毎日ご祈念しようね。」
 
 
 「・・・わかるけど、なかなか出来んわ・・・」(男の子)

 つまり、この男の子は優しい心を持っていて、他の子をいじめたりすることは無いわけで、そのこと自体が誇れることであり、尊いことだと感じたので、その良いところを損なうことは無いようにしてほしい、また、いじめたり悪口を言ってくる相手の心も助かってほしいので、そう祈るようお願いしたのです。
 

 こうしたやり取りを続けていると、表情が笑顔になったり、曇ったりを繰り返し、最後には、「学校に行かないときは、教会に来る。そして、心の修行をする。拳法も。」と約束してくれました。

 このように、お結界では、取次者は悩み相談や願い事の祈願を受け付けておりますが、同時に「神さまはどのようにご覧になっているか?」という目線に立ち、それまでは当事者では見えなかった良い面が見えてきます。

 取次者の目線、見えてくるもの、今後ともご紹介してまいりたいと存じます。
 トンボ
 金光教本部の境内で見つけたトンボです。中学生の頃も追いかけてました(笑) 
トンボの眼鏡は水色メガネ、その目線でどんな世界が見えるのでしょう・・・

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。