Category Archives: 改心
2014年06月03日
お掃除が心をつなぐ?
カテゴリ:心磨き改心
みなさんは、毎日お掃除をされていますか?
正直に申しまして、私はお掃除が苦手です。すぐに散らかしてしまいますし、整理整頓がなかなかできません。さらにお恥ずかしい話ですが、金光教学院で修行させていただくまでは、丁寧に心を込めて掃除をする、とう経験が殆どありませんでした。
一人暮らしを16年経験しましたが、特に社会人の頃は、部屋に足の踏み場も無い状態でした・・・
ありがたいことに、修行のおかげで、掃除をする習慣が身に付いたのですが、それでも、気を緩めるとついサボってしまう自分がいます。
そうした自分を戒める為にも、毎日の課業の一つとして、教会の車のお掃除を毎日させていただいております。
黒い車で汚れが目立つということもありますが、ことし買い求めることができたことが、当たり前ではないことを忘れない為にも、取り組んでいます。
夕方の金光教本部へのお礼参拝を終えて戻ると、ハンドタイプの掃除機を使って、車内の塵や埃を吸い取り、雑巾を使って、車の天井からホイールに至るまで、できるだけ丁寧に汚れをふき取っています。
きのうのこと、私が車の掃除の最中、教会の中の様子を見ると、しばらくお取次を頂いていた方がいて、その参拝者のお車の汚れがつい目に入ってきました。
「ああ、この方はいつもお仕事が忙しく、しかもヘトヘトになるまで頑張っておられる。洗車をする時間も無いんだろうなあ。そうか、ついでにお掃除させていただこう!」、と思いつきまして、ご本人の許可無く(笑)、拭かせていただきました。
ちょうど一通り終えた頃に、その方が教会を出て来られ、開口一番に「まあ、もったいないことです。ありがとうございます。」と声高に喜んでくださいました。
しかも、直前にご友人から頂いたであろうお菓子を、私にくださいました。何度もお断りをしたのですが、それでもくださろうとしたので、ご好意としてありがたく頂きました。
お互いに笑顔になり、「お疲れ様でした」と申し、車をお見送りさせていただきました。
ふと、思い出したことは、初代・祖父にとって、初めての参拝者は借家の家主さんのご主人でして、なぜ参拝をされたのか、初代は次のように遺しています。
・・・私は、この借りた家を、毎日お掃除をしました。親教会でくせになっとりましたから、お掃除するたびに便所でも毎日お掃除しました。
それをその借家のおばあさんが見ていて、そのおじいさんに、「岩本さんは、毎日、本部に日参しよる。朝晩に拝んどりなさって、便所掃除を毎日なさって、あの四軒長屋の縁側が光るようになっとる」と言われた。
それを聞いて、そのご主人が「裏から失礼します」と言うて入って来て、「あなた、先生ではございませんか」と言われる。
「先生の資格はありますけれど、私は徳がないので、胃下垂になり静養にきとります」とお答えした。「そうですか、ちょっとお待ちください」と言って裏から出ましてね、十分とたたないうちに、今度は羽織を着て表から入ってきた・・・中略
・・・「そうですか、金光では、なんでもお礼を申しますからね。お便所にもお礼を言うつもりでお掃除をしております」と言いましたら、「ああ、そんならそういう話をしてください。私はこのところの町内会長をしとりまして、副会長は二人おりますが、明日から連れてきますから」と言うて、翌日から人を連れて来られるようになった・・・
このように、初代にとって、またこの教会にとって、初めての参拝者のきっかけとなったのは、お掃除でもあったんですね。
面倒なことであり、後回しにしがちなお掃除。心を込めてさせていただきたいものです。また、忙しい毎日、容易にはいきませんが、そういう時間と心のゆとりを持ち続けたいですね。
写真は、そのお菓子です。ご霊前にお供えさせていただきました。
きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2014年05月26日
祈りの力点について
カテゴリ:人間関係改心
みなさんは、苦手な人、厄介な相手とどう向き合っていますか?
昨日のこと、参拝された方から人間関係の問題についての相談を受け、詳しく聞かせていただいて、神さまにお届けし、ご祈念させていただきました。
協力を取り付けたい相手がいるのですが、その相手が身勝手な人、いくら誠意を尽くしても応じてくれず、逆に、身に覚えの無い愚痴や文句で罵倒してくる人、いわゆる「鬼」と化した人で、全くらちが明かない、というご相談でした。
1時間以上、じっくりと聴かせていただくうちに、ご本人としては、争わないことにして、その相手のことを祈って、時節を待ちたい、ということになりました。更には、ご自身も反省点があり、改まりを願っておられました。
ふつうなら、訴訟を起こして、合意を取り付ける方向で進んでもおかしくないご事情でしたが、一緒に神さまに心を向けて、神さまの御心に沿ったあり方を探るうちに、ご本人自らが出した答えでした。
まさに、その方の中に頂かれている「神心(かみごころ)」が生き生きと働いてのことでしょう。
一方で、今後、その方のことを祈るに際しては、私からは次のように申しました。
「相手の方の“こころ”が助かっていくように祈らせていただきましょう」
鬼と化してしまったのは、それなりの背景があってのことです。しかし、どんな鬼であっても、必ず神さまは「神心」を授けてくださっています。それが活性化すれば、鬼の心はどこかへ消えていくからです。簡単にはいきませんが。
また、私自身の経験からも、「相手が改心しますように」「こちらの言うとおりにしてくれますように」と願っても、神さまには通じず、「どうか、相手の心が助かり、立ち行かれますように」と願い、「どうか、私は改まらせてください」と自らが改心を願っていくと、次第に事態が好転したことから、そのように申しました。
それは、神さまの御心にかなった、神さまの喜ばれる祈りだからだと思います。
祈りを捧げる際や、一生懸命お願い事をする際は、どこに力点を置くのか?
神さまの御心にかなう祈りとは?・・・引き続き求めてまいりたいと思います。
写真は、お刺身用のこんにゃくです。酢みそや、わさび醤油を少々つけていただくと、サッパリと爽やかで、暑い時期にピッタリです。
きょうもお越しいただきありがとうございました。 岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2014年05月21日
人を動かすのは・・・
カテゴリ:改心
人は何によって心動かされるのでしょうか?
昨日のこと、大変お恥ずかしい話ですが、私は大人としてはあるまじきことで、母を怒らせてしまいました。
早朝3時からの金光教本部へのお礼参拝の後、朝のお勤めを終えて、7時半~次のご用までの間の2時間のうち、1時間ほど休ませてもらうことにしました。睡眠不足感があり、起きる自信がなかったので、神さまにご祈念し、母に起こしてもらうように頼んで休みました。
ところが、私は熟睡してしまい、母が何度か起こしに来てくれたのにも関わらず、起き上がることができず、結局次のご用の直前になって、母から「あなたの為に起こしているんでしょ!もう知らん!」と言われ、「ハッ」と気付かされ、「そうだ、私の為に母が一生懸命起こしてくれているのに、なんて申し訳ないことをしてしまったのか!」という申し訳ない気持ちでいっぱいになり、疲れや眠気はさておいて、飛び起きて身支度をすることができました。
その後直ぐに、母に対して「ありがとう」と申し、「さっきはごめんなさい」とお詫び申しましたら、母は「いいえ」と照れた感じで、心鎮めて言葉を返してくれました。
このような次第で、私は自分の睡眠時間すらまともに管理できていないのと、母に甘えてしまっている自分がいます。取次者としては一人前には程遠いです。
しかし、この度のことを通じて感じたのは、母の「あなたの為を思って・・・」という言葉が非常に嬉しく、そして申し訳ない思いになり、直ぐに起き上がるという行動に移すことができたことが心に残り、何事もこういうことを大切にしたいなあ、ということでした。
つまり、私たちはいろんな方のお世話になって生活を送ることができ、同時に、いろんな方に物事をお願い申して、動いていただいて協力を得て生活することができるのですが、そのときに大事なことは、相手の心に響いて、相手の心の中が、自らが進んで行動に移せる心になっているかどうか、とうことが大事で、私も人に対していつもそうすることができたら、と気付かされたのです。
別の言い方をすれば、お金や損得の関係、上下関係などで人を動かすこともできますが、その時、相手が心から「あなたの為にそうしたい」と思ってくれて動いてくださっているかどうか、ということを見落としがちなのではないか、ということです。
たとえお金や損得の関係がなかったとしても、相手の心に響き、相手の心が動かされるような関わりや働きかけができれば、人は動いてくれるのだと思います。
そこには、私たち人間には神さまが、尊い「神心(かみごころ)」を授けて下さっていて、自分以外の人、損得関係の無い人、誰に対しても、かわいそうと思う心、申し訳ないという心、ありがたいと思う心、もったいないと思える心など、神さまのような心があり、その神心に響く祈りであり、言葉であり、行動は、人の心を動かすことができる、という道理があるのだと思うのです。
子育てや親子関係、友人との関係、夫婦の関係、職場での同僚や上司と部下の関係、取引先との関係、ご近所の方や地域・社会との関係、さらには国と国との関係に至るまで、同じことが言えると思います。
私たちは、果たして相手の心に響く祈り、相手のためを思っての言葉、相手の神心が生き生きとするような働きかけができていますでしょうか?
写真は、母の好きな花の一つ、アジサイです。これから楽しめる季節ですね♪
きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
2014年05月16日
素直にできたら・・・
カテゴリ:改心病気・健康・美容
「こころの宮」の神さまは、神の思いに沿わない人間を切り捨てるようなことはされません。むしろ、人間が天地の間に生かされて生きていることを忘れて、悩み苦しむ姿を憂いている神さまです。間違ったことや過ち、人の心を傷つけてしまったことなど、神さまに心を込めてお詫びをして、改まっていくことで、心新たに未来に進むことができます。
初代・岩本寅雄師にとって、道が開かれた原点は、「反省すること」「心を改めること」でした。概要はこのサイトの「私たちについて」のページの「成り立ち」に掲載されているとおりですが、詳しくは次のように述懐しております。
「…私は、胃下垂、胃下垂と言っていたけど、胃が悪いということは、こっちが間違えておる。私が立派な先生になろうと思うて、表行(わぎょう=荒行)をした。私の欲のために、表行をしたんだから、胃さま、胃さま、すみませんと、両手を合わせてお腹の方に向けて、私の体にお詫びを申しましたら、心がすっと落ち着きました。百日の願いを立てての金光教本部への参拝を始めて、ちょうど50日になりますから、金光様に『ちょうど日参をさせていただいて50日目になりまして、有難うございました』とお礼を申したら、金光様が『ハイハイ、結構でした。明日から家で拝んどきなさい』とおっしゃって、家で拝んでいる日に、初めての参拝者が現れたのです…」
つまり、たとえ自分の体に対してであっても、反省をし、お詫びをする素直な姿勢を、神さまは喜ばれ、私たち人間の心も晴れやかになり、道が開かれるのです。
私自身も、苦しいときに、毎日反省をしてお詫びを申すことしかできず、ひたすらに改まりを願い続けることで、なんとかその日その日を生きることができたので、実感があります(取次者の紹介、生い立ちを参照)。
何事にも素直に反省して、お詫びをして、改まることは容易でないことかもしれませんが、生きるか死ぬか、後の無い切羽詰った状態では、意外とできるものです。と申しますか、自分のどこに問題があるのかを必死に探さざるを得ない、藁をもつかむ思いなのだと思います。
それが常平生に、素直にできたら、家族や周りの方々との人間関係もよりスムーズになり、自分自身の心もすうっと晴れますよね。
きょうも素直に反省できていますか?
画像は、「こころの宮」のフェイスブックページhttps://www.facebook.com/nayamisoudan.kurashiki
のキャラクター「コロちゃん」です。コロちゃんも泣きながら反省しているようです。
きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。