2015年09月13日

東北復幸支援H27 1日目(8/8)

カテゴリ:東北復幸支援

 8月8日、朝7時に教会に集合し、ご祈念をとおして、ここまでの御礼と、一人ひとりの身の上の安全、そして、支援活動の成就を祈願させていただきました。 

 昨年は台風が接近する中の移動で、なんとかぎりぎりのところを進めることができましたが、ことしは連日暑い日が続いており、被災された方々にとっては、暑い中集会所に移動していただくだけでも大変なことでしょうし、そのことを心配しておりました。 

 また、昨年ご一緒してくださった、従兄弟でありボーカルの松本清治さん(麻布教会)がお体を崩しておられ、ことしはボーカル不在という状況で、歌の会を開くことになり、不安に思っておりました。 

 一方で、関係教会でもある、金岡教会の信奉者とそのご友人の5名のご婦人から、参加の希望を頂いており、心強く感じておりました。 

 ボーカルについては、ソワソワした思いがありながらも、「これも神様のお繰り合わせ」と心の中で頂いて、「よし、被災された方々に、ボーカルになっていただこう」と気持ちを切り替えて、「大丈夫、神さまが良いようにしてくださる」と言い聞かせながら、自分なりに歌声ひろばの司会進行や、歌の流れをシミュレーションしておりました。 

 ご祈念の後、車二台に乗り合わせて出発、途中に玉島テレビさんに寄り、今回同行取材してくださる横田さんを載せて、新倉敷駅に向かいました。 

その車中でのこと、横田さんが東北に行くのは初めてであることと、四年前の第一回目の番組の出来がひじょうに良かったことから、ご自身には大変なプレッシャーがあることや、不安があることなどを話しておられました。 

 すると、送迎の為に運転してくれていた父(教会長)が、「横田さん、もうあんたはここにおるだけで大成功よ。もし、あなたがここに来てくれてなかったら、映像を撮ることはできないわけだし、その場にいること自体が成功なんよ。あとは良いようにできるから」と横田さんを励ます言葉を送りました。 

 横田さんは、その言葉にとても心が救われたらしく、「ありがとうございます。おかげで、気持ちがすごく楽になりました」とおっしゃっており、新倉敷駅に到着するなり、すぐに撮影が始まりました。 

 今回は、事前に楽器などを宅急便で送らず、それぞれが持ち運ぶことにしていた為、みんな両手がふさがって大変でしたが、お互いが助け合って、荷物を持ち合って、駅の構内を通り改札口まで移動することができました。 

 そこで、横田さんから「出発前に、ひとことインタビューをさせてほしい」との依頼を受けましたので、2分ほどで今回の意気込み、願いとしているところをお話させていただきました。

  「先ずは、みんなが無事で行って帰れること。そして、私たちの演奏やイベントをとおしてみんなの心が一つになり、被災された方々が、昔懐かしい思い出とつながり、その場にいる人同士がつながり、そして、そのことが未来へと繋がっていきますように」。 

 不安な気持ち、心配を抱きながら、改札を通り、新幹線に乗って、いよいよ移動を開始しました。 

 岡山で乗り換え、途中、新大阪では、伊地知操さんをはじめ5人の奥様方が合流されました。その5人の皆さまは、乗車するなり、持ち込まれた缶ビールをプシューと開けて一杯やり始められました。とてもお元気な方々で、心強く感じました。 

 一方で、午前10時頃のことですので、乙島からのメンバーの優大くん(中二)は、目を丸くして驚いてしまい、その様子がおかしかったようで、5人の奥様方とも打ち解けて、わいわい楽しみながらの移動となりました。 

 伊地知さんは、ことしの年頭、地元の神社にお参りをした際、おみくじで「末吉」が出て、「人のお役に立つべし」との教えがあったことから、いろいろと考えが深まるうちに、ふと乙島教会の東北支援活動に注目され、年齢的なこともあり、これが最初で最後の気持ちで参加したい、何かできることをさせていただきたい、との思いで参加されました。 

 東京駅に到着し、各自荷物を協力し合って持ち出し、東北新幹線のホームへと移動しました。そして、ホームに付いた時、廣野さんが「スマホが見当たらない・・・」とおっしゃり、荷物や体をくまなく調べましたが、見つからず、新幹線の自席の前方にあるネットに置き忘れたことに気付きました。 

 ここから元に戻って探すことは難しく、「時、既に遅し」でしたので、駅の忘れ物センターに問い合わせをして、見つかるのを待つことになりました。 

 そうしたなか、松本清治さんがホームまでみんなを見送りに来てくださり、それぞれと握手をして、新幹線が出発するまで、最後まで見送ってくださいました。清治さんは、一緒に行きたいお気持ちがあっても、お体のことがあり、それは叶わず、今回は東京からご祈念をして応援してくださいました。                
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 私は、清治さんの思いと一緒に東北に向かい、仮設住宅では、清治さんの祈りと一緒に進めさせていただこう、と心に誓いました。 

 東北新幹線では、車中で思い思いの弁当を頂き、体を休めながら向かい、ついに盛岡駅に到着しました。駅レンタカーのお世話になり、2台のワゴン車に分乗して、先ずは最初の目的地、盛岡教会に向かいました。

  先ずは、全員揃ってご祈念をさせていただき、お結界にて、この度お繰り合わせを頂いて支援活動に参加させていただいていること、ここまで無事に来させていただいたことの御礼を申し上げ、4日間の無事をお願申し上げました。 
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 その後、奥原幹雄先生を囲んで記念写真を撮り、いよいよきょうの最終目的地、グリーンピア三陸みやこに向けて出発しました。途中、道の駅に立ち寄って休憩を挟みながら、約2時間車で移動し、無事に到着することができました。

 チェックインした後、直ぐにお借りしている会議室に楽器などの荷物を搬入し、1時間リハーサルを行い、並行して大阪の5人を中心に、住民の方々にお土産として配るお菓子の詰め合わせを作る作業に入りました。
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  リハーサルを終えて、私はふと忘れ物をしたことに気付き、慌てて一人、宮古市内まで40分くらいかけて買い物に行くことにしました。その間、それぞれ部屋に荷物を持ち込み、ホテルにある食堂で夕食をとりました。

 私の方は、なんとか宮古市内のお店に、閉店20時ぎりぎりに到着し、忘れたもの、ビンゴカードを買うことができました。これで準備万端、みなさんと合流して夕食を終え、お風呂に入って疲れを癒やして、明日に備えました。

 

2015年06月03日

東北復幸支援(5月6、7日)報告

カテゴリ:東北復幸支援行事報告

おかげさまで、去る5月6日~7日まで、東北被災地に訪問させていただきました。

ことしも、8月に仮設住宅で「歌声ひろば」を行う願いを立てており、
それに向けての状況把握や打ち合わせを目的にまいりました。

以下、感じたことやうかがったことなど、画像付きでご報告させていただきます。


5月5日、金光教麻布教会の天地金乃神大祭に参拝し、私(副教会長)は、
祭員(祭主を補佐し、祭典・儀式を奉仕する為の祭具などを運ぶ役)のご用を頂き、祭典が麗しく仕えられ、直会(なおらい)を頂いた後、夜行バスに乗りました。

この日は連休ということもあり、臨時便しか空きがなかったのですが、何とかチケットを取ることができていたのです。

しかも、金光のJTBさんでチケットを手配していただいた時、手にとって驚きましたのは、席が3号車13番だったことです。

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3・13は私にとってのラッキーナンバーであります。

なぜなら、私の祖父(初代)が亡くなった日が3月13日であり、その日以来、
毎日のように、3.13に助けられているからです。

この度も、「あー、やっぱりおじいちゃんにご心配をおかけしているな」と申し訳なく思いつつ、ありがたく心強く向かうことができました。

臨時便ということで、お席が私の体には非常にせまく、トイレがついていないので、心配もありましたが、なんなくグッスリ休み、気が付くと気仙沼市内の光景が広がっていました。

朝6時に到着し、そのまま歩いて金光教気仙沼教会に参拝させていただきました。

その後、奥様先生がご用意してくださった朝食をいただき、疲れも取れ、
久しぶりに気仙沼の港を散策しました。

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渡辺謙さんやそのお仲間が作られた、K-portの側を通り、
http://www.k-port.org/)、港から向かいの大島を眺めました。

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写真の中心部あたり、少し山が削られて土が見えますね。
向かいの大島でもかさ上げ工事などが行われているのでしょうか。

港の雰囲気を味わい、少しずつ復興に向けて歩んでいる様子を拝見して、
教会に戻り、若先生の奥原幹雄先生と一緒に、気仙沼市内にある五右衛門ヶ原という
ところの仮設住宅に訪問しました。

自治会長様にお会いすることができ、最近の状況などお伺いすることができました。

こちらには、毎年8月に訪問していて、先方も私たちのことを覚えていてくださり、
続いて、ことし8月に訪問させていただきたいこと、打ち合わせなどをさせて
いただきました。

土地の整備などが進み、いよいよことしの秋には高台の公営住宅への移転や、家を建てる方が増える見込みだそうですが、こちらの仮設住宅は、この先近隣の仮設住宅の集約が進んでいっても、残ることになったそうです。

仮設住宅の耐用年数のことが、心配だそうでして、おっしゃるとおり、仮設でありながら長い年月生活をなさるということは、そうした不安や心配を抱えながらのことであると、感じました。

お茶を頂いたのが嬉しくて、次の場所に向けて頂きながら移動しました。

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途中、陸前高田に立ち寄り、大規模なかさ上げ工事の様子を拝見し、
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1時間ほどかけて、岩手県大船渡市の越喜来というところに到着しました。

こちらにも毎年訪問している仮設住宅があり、その集会室で勤めておられる方に、
最近の状況などをうかがいました。

高台に家を建てて転出された方もおられ、ことしいっぱいで三階建ての公営住宅もできあがる見込みだそうです。

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何軒か、新しく建った家を目にすることができました。
お話をしてくださった方も、移転できたそうで、今までよりは不便なこともあるそうですが、とにかく再出発が始められたことを喜んでおられました。

その後、いつもお世話になっている民宿の嘉宝荘(かほうそう)さんに泊まらせていただきました。

8月には、みんなでこちらに泊まりたいと願っています。

客は私一人で、私一人の為に申しわけない思いでしたが、女将さんがあたたかく迎えてくださり、手作りの料理をたくさん振舞ってくださいました。

とくに、近海でとれたホヤ。何もかけずに、このままを頂きましたが、海の薫りがたっぷりで、潮の味がして、甘みもあり、しかし臭みはなく、頂いた瞬間に疲れが吹っ飛びました。

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窓から遠めに、眼下に海が眺められる席で、少しずつ日が暮れて、暗くなり、
そのうちに何も見えなくなって、一人寂しい思いと、一日の流れを食事を頂きながらゆっくりと感じることができ、なんとも言えない贅沢な時間を過ごせました。

翌朝、7日には朝食を頂いたあと、仮設住宅の様子を拝見し、最後の目的地宮古市へ向かいました。

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途中で休憩を挟みながら、釜石、大槌と進み、車中でご祈念をしながら、
3時間ほどかけて、昨年も訪問した宮古市田老町の仮設住宅に着きました。

サポートセンターの職員の方が迎えてくださり、お話を伺い、8月の打ち合わせもできました。

こちらでも土地の整備が進み、ことし秋にかけて、移転が進み始めるそうです。

一方で、家を買うか、公営住宅に入るか悩んでいる方が多く、年を重ねるにつれて、認知症の方が増えて、課題は尽きないそうです。

また、こちらのサポートセンターでは、ご年配の方が楽しめる遊具を3つ導入されており、皆さまが協力して、生活をより有意義に過ごせるように工夫しておられることを感じました。

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訪問を終えて、記録をまとめつつ、今度は宮古市から一気に気仙沼へ。

これまでのこと(被災地訪問のこと、自分自身のこと)をいろいろと振り返りつつ、
お礼を申し、復幸への祈りを捧げつつ、一方で孤独と眠気に負けないように、
ウトウトした時は、大声で歌を歌いながら、4時間半ほどかけて移動しました。

無事に気仙沼教会に戻り、参拝して、奥様先生がご用意してくださった夕食を頂き、
また夜行バスで池袋に向かいました。

その日は、被災された奥様方が教会に集まって「草もち」を作る行事があったそうで、私も「明日の朝食に」とおすそ分けしてくださいました。

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朝、東京に着き、麻布教会に参拝した時、朝食として頂きました。
塩味が効いていて、甘くてもちもちしていて、美味しかったです。

以上、おかげさまで祖父の霊様にお守りいただきながら、被災地の状況をうかがい、また8月の訪問に向けての打ち合わせを進めることができました。

ここまで、ありがとうございます。
引き続き、被災地の復幸に向けて、日々ご祈念を続けて取り組んでまいります。

なお、ことし8月の支援活動ついて、ご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、こちらまでお問い合わせください。
 info@nayamisoudan-krashiki.com
   086-451-6167

きょうもお越しいただき、ありがとうございました。  
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

        





2015年03月12日

心が喜ぶという事(音声ブログ)

カテゴリ:心磨き東北復幸支援音声ブログ

朝の勢祈念時のお話を音声ブログとして、聞くことができます。
3月8日のお話が、音声ブログとして更新されています。 

↓こちらをクリックすると、その音声が聞けます。
心が喜ぶという事 H27.3.8

今回は、教会長による「心が喜ぶという事」というお話です。


昨日は、当こころの宮/金光教乙島教会では、例年8月の東北復幸支援活動についての
話し合いが行われた。

また、本日は近くにある老人ホームでの清掃奉仕に、数名が参加させていただく。

どちらにも共通することは、「奉仕活動」であり、見返りなどを求めずに、ご奉仕させていただくことであり、そうすると私たちの心はスッとして、心が喜ぶことを実感でき、自然と笑顔になれる。

初代は生前、「良いことをすると、心がスッとする」とおっしゃっていた。

また、教祖様がおっしゃる「神心(かみごころ)」、一人ひとりに備わっている心が生き生きとして元気な心になれる、そういうことだと言える。

人が喜ぶことをさせていただくことは、徳を積む生き方であり、ひいては自分自身の心が喜んで元気になれるのであり、共々に心がけて取り組ませていいただきたい。

こうした内容がお話になっています。
お時間のよろしいときに、ご視聴くださいませ。

きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

 

2014年08月19日

トイレの水が呼び起こす記憶

カテゴリ:取次者の目線東北復幸支援神さまについて

支援活動1日目、新幹線で隣に座ったおばあさんから、さまざまなお話を伺いました。

 8月9日昼、東京駅でいとこの松本清治さん(俳優)と合流し、5人で東北新幹線に乗りました。車中、私の左隣が清治さんの席で、右隣には83歳のおばあさんが乗ってこられました。

 にこやかな表情、上品な言葉遣いの方で、清治さんがおばあさんの荷物を頭上の棚に載せて差し上げたりしているうちに会話が弾み、3人とも直ぐに打ち解けました。

 お昼時でしたので、お互いにお弁当を広げて、話を進めました。

 伺いますと、女川のご出身で、この度の東日本大震災の被災者でした。ご主人を11年前に亡くされ、震災当日は車を運転しながら、命からがらで助かったことなど、 いろんなお話を聞かせてくださいました。

 ・目の前に大津波がどす黒い色でぐるぐると回転しながら、すべての物を流した。
 ・家が浮力で持ち上がり、瞬く間に崩れながら津波に飲まれた。
 ・車や人やいろんな物がぐるぐると流された。
 ・自分の車の前後が大津波で、奇跡的に助かった。
 ・神も仏もない、とおっしゃる方もあるが、私は神仏が存在すると思う。
 
 ・しばらく避難所での生活、何も無くて不自由した。
 ・幸い、息子が東京に住んでいて、迷ったが移り住むことにした。
 ・東京では独り暮らし。もし災害が起きたら忘れられるのが恐いし、寂しい。
 ・女川のお墓は石巻に遷した。きょうはお盆で、そこにお参りする。
 
 ・某美術館に過去の津波の絵画があるが、水がきれいで、あれは現実と違う。

・・・といった具合に、震災発生時のことから、現在に至るまでの状況や心境をお話くださいました。

 私は途中から、「生神金光大神様」と心の中で唱えながら聴かせていただくようにし、新幹線の椅子に座りながらも普段の御取次の心構えにならせていただきました。

 じっくりと聴かせていただき、おばあさんの心の中の思いを感じさせていただくように意識を集中して、ご祈念をさせていただきました。

 そして、このようにもおっしゃいました。

 「水洗トイレの流れる水の様子を見ると、津波を思い出してしまい、恐いのよ。
だから見られなくなった。今でも夢に出てくるし・・・」

 ずっと被災地に常駐されてきた清水さんが、教えて下さったことと重なります。
「被災者の方々は、時間が経っても心に受けた辛さ悲しみは癒されることはありません。共に辛さ悲しみを共有して、生き抜くしかありません」と。

 さらに、おばあさんはこのようなこともおっしゃいました。

「震災直後、演歌歌手の○○さんが△△△△という持ち歌を歌っていたけど、私は聞いていてムカっときちゃった」と。

 このお話は、これから仮設住宅で一緒に歌を歌わせていただこうとする私たちにとって、大切な教訓とも言うべきことを教えていただいたように感じました。

(幸い、私たちのレパートリーには無い歌でしたが、こちらが良かれと思ってご用意している歌であっても、その方によっては不快な思い、辛い思いにさせてしまうことがある、と改めて思いました)
 

 これは後日談ですが、11日の時に歌詞ノートをお配りした際、「ふるさと」の所を開かれて、「この歌、私はしばらくまともに歌えなかった。涙が出てきちゃって。3年経って、今は歌えるけどね」とおっしゃる方があり、まさにそのことが現実となり、ドキっとしたのと、今は一緒に歌えると伺って少し安堵しました。

 それからも、いろいろなお話・・・戦時中に疎開して畑仕事をさせられたこと、シソジュースの作り方、女川の魚が美味しいこと、東京のお水は舌に膜が張るような感じがして飲めずミネラルウォーターにも慣れないこと、ご主人との生活は辛抱ばかりだったが有難いと思えること、若かりし頃江ノ島で映画のロケと遭遇し有名俳優さんとベンチで会話したこと、震災時に中国からの研修生をいち早く助けた経営者が二度前の波に流されたこと・・・など仙台までの約2時間近くの間、震災時のことだけでなく、楽しい思い出や懐かしいこと、ご苦労なさっていることなどをお伺いし、3人で時に笑いあったり、沈黙して考え事をしたりして過ごすことができました。

 先ほど申しましたように、心の中で「生神金光大神様」と唱えながら、「このおばあさんの心が安らぎますように」と願っておりましたが、今振り返ってみますと、おばあさんのおかげで、被災者の気持ちをお伺いすることができ、また演奏奉仕をさせていただく上での大事なこと、取り違えてはいけないこと、その心構えを教えていただいたとも思います。

 その時は不思議な思いもしつつ、また「神さまはこのおばあさんを通じて、私たちに何か大切なことを教えようとなさったのでは?」という思いを頂きながら、仙台でお別れをして、私たちはそのまま盛岡へと移動を続けました。

 盛岡教会4
 写真は、その後参拝させていただいた盛岡教会のご神前です。
台風の中、無事に到着できた御礼と、演奏奉仕の成就を祈願させていただきました。

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。
 
 
 

 

 



 


2014年08月17日

東北復幸支援4日目 8月12日(最終日)

カテゴリ:東北復幸支援

熟睡させていただき、最終日の朝を迎えました。

 気仙沼教会の朝6時のご祈念に参拝させていただき、一同、この度の4日間の奉仕活動が成就したことを御礼申し上げ、亡くなられた御霊様に思いを寄せて、ご安心と立ち行き、そして復旧復興を祈願させていただきました。

 教会で気仙沼のお恵みたっぷりの朝食(新鮮でふっくらとしたサンマの塩焼き)を頂いて、出発までの間、身支度や掃除、それぞれに自由時間を頂きました。

 若い女性3人は、安波山(あんばさん)に登り、気仙沼の港を一望できたようです。(相当ハードだったようですが・・・)
 気仙沼一望3
 気仙沼も復興の計画が固まったそうです。市街地も少しずつ整備され、土地のかさ上げが進んでいる様子が伺えます。

 しばらくの間、津波の爪あとが残り、浸水した建物の低層階が無残な姿をさらしていましたが、年を経る毎にそういう光景も減ってきたように感じます。
 気仙沼市街2
 市街地を見学したメンバーもいました。

 私と俳優の松本清治さんは、楽器などを宅配便業者の事務所を訪ねて発送し、港を散策しながら、渡辺謙さんがオーナーのお店でコーヒーを一杯頂きました。
(開店前の時間でしたが、ご好意でテイクアウトなら、と頂くことができました。)
 
Kポート_
謙さん直筆_
 

 その後、全員揃って、気仙沼の港から、海に向かって合唱させていただきました。
「ふるさとは今も変わらず」という震災後に新沼謙治さんが作られた曲です。

 4日間の御礼と、亡くなられた御霊様のことを想像しながら、祈りを込めて歌わせていただきました。
 みなと2

 そして、ご祈念をさせていただき、港にお別れを申し上げて、帰路に発ちました。

 ところが、途中で渋滞があり、新幹線の出発時間ぎりぎりに駅に着く見込みとなったため、私を含む4人だけがレンタカーの給油と返却の手続きに回ることになり、他の6人は予定通りの便に向かってもらうことにいたしました。

 
 時間との勝負で、安全運転をしながら、精一杯対応しましたが、残念なことに、レンタカーを返すところで、書類が見つからないトラブルがあり、私たち4人はあと数分のところで乗り損なうことになりました。

 「少し予定を詰めすぎたかなあ」と自分自身は反省しつつも、気持ちを切り替え、私たち4人は喫茶店で休憩させていただくことにしました。

 そのうちの優大君(中学1年生)は、「レンタカーのおじさんが手間取っていたせいで、こうなったけど、乗り遅れたおかげで、ここのカレーが食べられた」と、ふつうなら嘆いただけで終わってしまうところを、自分なりの喜びを見つけて、良いほうにとらえてくれていました。

 私としては、それがとても嬉しかったです。

 日常では、こうした些細なトラブルや、イライラしたり、腹の立つ出来事が起こるわけですが、そうした瞬間をすぐに「ありがたい」方向に切り替えていけたら、いいですよね。

 子供のうちから、そうした心、気持ちの転換の稽古ができていたら、この上ないと思います。

 幸い一関から東京駅まで、東京から新倉敷駅までの間、自由席が空いていて、みんな座ることができました。

 これは余談ですが、東京から新大阪までの間の車掌さんの一人が「岩本さん」だというアナウンスが聞こえてきて、思わず笑ってしまいました。

 そして、車内の改札が始まると、なんとその車掌さんが「岩本さん」でした。
私は嬉しくなって、「あなたも岩本さん?私も岩本さんです。」と言って握手を交わしました(笑)

 「岩本さん」とも、乗り遅れなければお会いできなかったな、と喜ばせていただき、計画不足、自分自身の至らなさ、予定を欲張りし過ぎて反省しているところを、神さまが後付して、喜ばしいこと、微笑ましいことを足してくださったなと、御礼を申した次第です。

 以上、おかげさまで、ことしの東北復幸支援活動を無事に、盛況に終えさせていただき、神さま御霊さまに御礼を申し上げることができました。

 ありがとうございました。

 なお、この度の支援活動の詳細や、今後の支援活動についてご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、こちらまでお問い合わせください。
 info@nayamisoudan-krashiki.com
   086-451-6167
 
 

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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