2014年08月08日

天地の神(音声ブログ)

カテゴリ:心磨き神さまについて音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。 

http://www.voiceblog.jp/shiawasehiroba/

今回は、教会長による「天地の神」というお話です。 
(※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年07月29日

はるか昔とつながる光

カテゴリ:神さまについて

先日、二泊三日でサマーキャンプのスタッフとして参加させていただきました。

岡山県小田郡矢掛町にある亀島キャンプ場という所で、小中高生の子どもたちとテントを張って、釜で飯を炊く生活を過ごしました。

初日の夜、ナイトプログラムがあり、暗闇の中いろんなゲームを班対抗で進めて、
最後に池のほとりの草原に寝そべって、みんなで星空を見上げました。

見事な星の数、輝きで、ふだん見ることのできない、壮大な夜空に圧倒され、宇宙の大きさを静かに、穏やかな気持ちで眺めることができました。

星に詳しい先生が、ライトを使って北斗七星、北極星、さそり座、てんびん座・・・夏の大三角、一等星、恒星と解説付きでお話をしてくださいました。

そのお話の中で、

「星の光がこうして見えていますが、遠くの星は何千年、何万年も前の光が地球上に届いているんです。だから、みなさんのおじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖様、さらには歴史上の著名人も見ていた星空と同じと言っていいんです。また、これから先、何千年か先の私たちの子孫も、同じ星を見ることになります。」

という内容のことを教えていただきました。

はあー、なるほど。と思いながら、自分も振り返りました。

実は26年前、子どもの頃、父に連れられてこのサマーキャンプに参加したことがあります(それが第一回目のサマーキャンプだったとか)。

その場所がこの亀島キャンプ場だったわけで、当時も星空をずっと見上げて過ごしたのが未だに印象に残っており(たしか、2、3時間ずっと見上げていました)、流れ星を数えたりしたのを思い出します。

そういう頃の自分があって、今の自分があること、それがじわーっと思い出となって、心の中に沸いてきてました。

さらには、私の大好きな祖父、おじいちゃんに始まって、ご先祖様、もっと広げると、教科書で学んだような偉人でさえ、同じ星空・天体を眺めていたのか、と思うと、身近な先人たちだけでなく、何千年も昔の人たちとも「同じ釜の飯」を頂いているような感覚を覚えて、ちょっと嬉しい気持ちになりました。

宇宙は果てしなく広く、長~い時間が流れていて、人間は小さく、人の命は短い。

私たちはこの今、ここに命を頂いている。私の心身の中にも長い時間があり、人生があり、経験や感情など、広大な宇宙があるのに、それが数え切れないほど宇宙にはある。もの凄いことだ!

はるか昔と遠い未来とが点や線ではなく、大きく膨らみ続ける時空となって果てのない広がりがあり、その中にポツンと私の命があり、点となり、時間が続いて線となり、いろんな人と関わって面となり、立体となっている。それが幾重もの人生、ドラマとなって展開している。。。何千年も、何万年も・・・

と、なんだか何を言わんとしているか、分からなくなってまいりましたが、壮大な宇宙・時空を眼の前にして、ドキドキ・ワクワクするような、そして切ない・はかない思いが広がりました。

こうして空を見上げて、ロマンを感じ、「神さま」を感じました。

みなさんは、星空にどんなことを感じますか?
池
 写真の中央に見えるのが、その草原のある土手です。
余談ですが、この池に手作りの筏を浮かべて、班対抗で水鉄砲合戦を繰り広げました。最初は泣き出す子もいましたが、すぐ夢中になって戦い、楽しんでいました♪

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
岡山・倉敷で悩み相談、願い事祈願は「こころの宮」まで。

2014年07月09日

現実(音声ブログ)

カテゴリ:改心神さまについて

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今回は、教会長による「現実」というお話です。
 (※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年07月07日

「金幸会」(音声ブログ)

カテゴリ:心磨き神さまについて音声ブログ

昨日のお話が、音声ブログとして更新されています。

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今回は、教会長による「『金幸会』幸せになろう」というお話です。
 (※音声ブログは、基本的に毎朝8時頃には更新されます。)

2014年07月06日

人前式にも神さまが

カテゴリ:恋愛・結婚神さまについて

昨日は、大切な恩人の結婚式に列席させていただきました。

 海の見える、開放感あふれるチャペルを会場に、心温まる挙式が仕えられ、ご家族やご親族、ご友人・職場、みんなが祝福なさり、私も感極まり、何度か涙しました。

 そして、私にとっては「人前式」は始めての体験でした。聞くところによると、最近では四人に一人くらいの割合で行われるそうですね。

 後輩に伺ってみても、人前式がごく普通なのだそうです。

 これまで、私は何度も列席してきましたが、いずれも「神前式」「キリスト教式」「金光教式」で、何らかの神職の方が儀式を仕えておられました。

 正直なところ、しばらくは違和感を覚えましたが、振り返ってみて冷静に見ていくと、なかなか道理にかなっているなあ、と関心させられます。

 神仏の代わりに列席者へ結婚を誓い、証人になってもらうようでして、今回は私たちが列席して証人となっただけでなく、新婦の親友の女性が代表して署名をされて、二人の誓いを確認し、それを皆さんにも披露されていました。

 神職がなさるところを、親友がなさったわけですね。

 それで、自分なりに整理してみたのですが、次のようなことを感じています。

・信頼関係ある神職が間に立つのなら意義はあるが、形式だけなのは敬遠されがち。
・列席者、親友が間に立つと、当事者の思い出も重なり、誓いも心に刻まれるはず。
・つまり、形式だけの神職は意義が薄く、中身、心、間柄が大事である。

 さらには、人前式ならではの良さがたくさんありまして、特に親友の方の働きにとても感動を覚え、神さまの働きを感じたことから、次のように思いました。

・親友はすなわち、ご本人にとって恩人であり、神さまを感じる存在である。
・神さまに等しい存在であり、生身の神さまが間に立っての式とも感じる。
・人前式は一見、神さま不在に思えたが、むしろ神さまが現れている。

 もちろん、無心論者の方や、神さまを普段から意識しない方々にとっては、人前式で十分なわけですし、そもそもこうしたこと自体、お考えにならないかもしれませんが、私のような神職の立場からみると、「人前式」であっても、そこに神さまを感じざるを得ないのです。

 それから、きのうは、図らずも私が会社員の頃、最後に関わったプロジェクトのメンバー、恩人たちと再会でき、ありがたい思いでいっぱいです。

 と申しますのも、私は会社を退職する際に、お仕事を引き継いできたのですが、ずっと心残りがあり、これまでの4年間、毎日欠かさず、受け継いでくださったことにお礼を申し、そして勝手をして退職したことをお詫び申すことを心中で神さまに申し上げることを続けてきたのですが、その方々と一同に会することができたからです。

 「ああ。このようにして、お繰り合わせをしてくださって、再会がかなうのか」と一人感慨にふけっていました。

 こうした感激、感動が、列席された方々、ご家族はじめお一人お一人の上に、さまざまな形であられたことを想像しますと、まさに神さまも一緒に喜んでくださり、
泣いてくださりしながら、現われてくださっていたのだと感じます。
 広島プリンスホテル
結婚式

 きょうもお越しいただきありがとうございました。
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